2024年09月14日

【薙刀式】論理配列では商売できないが、インフラである

論理配列は、キーボードを使う上で重要なインフラだと思う。
にもかかわらず、
それで商売できないから、
メーカーの技術投入が行われない。


つまり、
文字入力はインフラだと思う。
ガスや水道や電気と同様、
人々の暮らしを支えるものだと。

紙やペンがなくなることはないだろう。
使えば減るものだからだ。
それを供給し続けることは、
社会的インフラを支えることだと、
見ればわかるだろう。

だけどキーボードは減らない。
10年くらいで買い替えることはあるだろうが、
キーボードがインフラであることや、
その上に乗っている論理配列が、
インフラであることはなかなか気づかれない。

仮に、
AとBの位置を入れ替えたキーボードがあったら?
それはインフラを破壊したことになるだろう。
元に戻せとなるだろう。
つまり社会的合意は、
109キーボードを変えられると困る、だろうね。

でも、qwertyローマ字が、
あまりにも無駄が多く、
日本人の文章生産の量と質を下げている。

なぜなら、
日本人は無意識にフリックを選択しているからだ。

なぜ日本でだけiPhoneが売れているのか?
アップルのデザイン性やSafariの良さやMacとの連動性を、
皆が追い求めているわけではない。
「フリック入力でLINEやネットとつながれる」
ことが原因ではないかと僕は思う。

なにせキーボードにおける、
qwertyのブラインドタッチ率は3割だ。
7割は見ないと打てない。
だったらフリックの方が楽だと考える。

つまり、
いまやキーボードではなく、
iPhoneが日本語のインフラだ、
と僕は考えている。


論理配列は金にならない。
仮に薙刀式導入に3万円いります、
そして月々600円払ってね、
ってなったら誰も使わないと思う。
10円にしても同様だろう。
「金払うならいいや」くらいだと思う。
親指シフト信者も同様でしょ。
サブスク月8000円と言われたら、
みんな手放すでしょ。

紙やペンは切れたら買い足すから、
よく考えればサブスクなのに、
論理配列にはサブスクしないのよね。

厄介なのは論理配列は、
キーボードに入ってるわけではないところ。
もし論理配列がキーボードに「しか」入ってないなら、
親指シフトキーボード、薙刀式キーボードを、
物理販売できたろう。

親指シフトキーボードはそれを続けたが、
キーボードの安値化に追随せず、
3万円を切らないキーボードは誰も買わなくなった。
そして「無料ソフトで親指シフト」が主流になり、
それもOSのアプデの波に消えた。


論理配列の正体はプログラムだ。
だからキーボードにも入れられるし、
本体にも入れられるし、
IMEのフィルタにも入れられるし、
物理アダプタにも入れられる。

プログラムは減らないからサブスクしない。
それがふつうの感覚だ。

サブスクするプログラムもある。
たとえば映像ソフトのAdobeはサブスクをいち早く取り入れ、
「Adobe税」と良く言われる。
それしか優秀なのがないので、
それを使うしかないのが実情だ。
専門技術の独占とサブスクは、だから関係がある。

ところが、
こと論理配列はインフラだ。
言語という誰もが使えるものは独占されるべきでない。
だから、論理配列はサブスクにならないだろう。


というわけで、
どんなに便利なインフラをつくっても、
金にならない。

これは資本主義のバグである。
これをフォローできるのは社会主義なんよね。
そしてかつての日本はインフラを社会主義で整備した
(高度成長期)ので、発展できたのだ。


薙刀式はべんりな論理配列だ。
qwertyの3倍いいと僕は思う。
しかし普及しないだろう。
金にならないからね。
商売のネットワークに乗る方法がない。

そして人は恐れる生き物なので、
「怖いのは触らない」ものだ。
「普及してないものは触らない」のだ。
「普及しないから普及しない」ループがここで回る。


なので、
僕は社会主義でやるしかないなー、と思う。
全体国家社会主義は無理なので、
もっと昔の、原始共産主義だ。
物々交換とかの時代だ。
よいもの、役に立つものが、
親切によって伝播する世界である。

古き良きインターネットは、
原始共産主義だったと僕は思う。
情報のやり取りを、物々交換していたのだと。

薙刀式はよい。
しかし僕に見返りはない。
儲ける手段がないからね。
しかし金は関係なく、便利なものは便利だ。


論理配列を変えるには、
少なくとも孤独な練習を3日から一週間やる必要がある。
そこがボトルネックだ。

ということは、
「論理配列をマスターするための合宿」をやれば、
寂しくないし資本主義に乗っかれるかも知れない。
僕はそういう世話役むいてない(幹事とか苦手)ので、
誰か開催してくださいな。
以下その妄想。

GWとか連休とか盆休みに、
3〜5日間の論理配列集中マスター会
(講師によって、親指シフト、薙刀式、月配列、大西配列など、
メニューが前後するかもしれない)があれば、
参加者もやってくるかもね。
一日4〜6時間くらいで、3〜5日間、
誰かついててくれれば、練習も孤独じゃないだろうな。
多くて20〜30人、講師も含めて15〜10人くらいの会が目が届くだろう。

そんで「○○配列インストラクター試験」みたいなのを設けて、
それに合格すれば自由に講習会を開いていいよ、
にしておけば、
普及するかもしれない。

うーん、考えるだけで面倒だ。
完全ボランティアじゃなくて、
多少開催者にお金が落ちれば、
誰かやるかもなー。

自作キーボード界隈があれだけ賑わってるのも、
サリチル酸さん、ゆかりさん、
ないんさん、ななめさん、びあっこさん、
荒涼さんなどの「古参の開催者」がいるからなんよなー。
そしてサリチル酸さんは、
全国にそういう行動的開催者を増やしたいらしい。

僕は発明博士であってそういう行動力がないので、
そういう「まつりごと」が得意な人がいたことが、
自作キーボード発展の原動力だったんだと、
リアムタイムで思った。

でも自作キーボードは、物販があるのよね。
物販である程度潤うから、
次の活動が出来るという自転車操業なんよなー。

じゃあ配列ロゴステッカー
(私はこの配列を使ってますアピール用のやつ)とか、
配列図早見表とか、
配列印字キーキャップをつくればいいのかねえ。
それは僕は出来る。


原始共産主義的なら、広まるかもしれない。
そうやって便利なものは限定的だが社会的インフラになるだろう。
配列村みたいなのができて、
配列村が拡大して、qwertyと戦争になったりして。
その時にはそこそこ拡大はしてるだろうか。

自作キーボードほど物理がないのが論理配列の痛いところだけど、
物販と講習会みたいなWin-Winなものがあれば、
原始共産制は成立するかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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