我流っていつもカッコイイ響きよね。
何物の影響も受けず、自分だけで開発した天才。
自分がそうなりたいのはやまやまだ。
だけど、
物語というのは、かなり我流の通用しない世界だ。
たとえば格闘技。
かなりセオリーが出来ていて、
街の我流ケンカチャンピオンは通用しない世界になっている。
型にとらわれない、
自由な動きの我流が活躍するドリームを夢見てしまうが、
案外通用しない。
そういうジャンルは、つまりある程度「型」「セオリー」の、
強いやつが出来ているということだ。
書道もおそらくそんなことだね。
我流の文字が良かった試しがない。
なんなら読めないし。
有名人のサインとか我流だけど、読ませる気ないだろ的なものだよね。
(偽造を防ぐ意味はあるのかもだが)
音楽もセオリーが強い。
どうやったってヘンテコなメロディーになるだろう。
パターンがある程度あるんだと思うよ。
我流で作曲できたらそれこそ天才だよ。
ある程度色んな曲を知ってるから出来るんだと思う。
もし我流でやるなら、
音楽の例のように、
基礎理論を勉強する必要はなくても、
世界の色んな音楽を聞いた経験は必要だと思う。
格闘技や書道でも、
自分がそのように動けるかは置いといて、
強いものやいいものを見ている必要はあるだろうね。
ということは、物語も同じだ。
そもそも物語の執筆というのは格別難しくて、
見よう見まねで出来るものじゃない。
ある程度書いた経験が必要で、
何回も書き直せるだけの経験がないと難しいと思う。
だから、
型や理論があるんだよね。
ジャンルのような型、
展開のパターンやよくある設定の型、
三幕構成という型などなど。
このブログでは、典型的な型や理論、
よくあるもの、そして僕独自のものを含めて、
たくさんの型や理論を書いている。
芸事には守破離というものがある。
守って、ちょっと破って、そして全然離れたもので、
一流派を立てる、という考え方だ。
結局基礎の型が出来ていないと、
一流派を立てるほどには、
我流だけじゃ無理だよな、
とあらゆる時代で言われてきたのだ。
とはいえ、
物語は師匠が教えてくれたり、
教室があったり、
型があるわけではない。
だから自得がむずかしくて、
だから僕はこんな感じで昔から垂れ流している。
我流で最後まで書けて、
我流で何本も書けて、
我流でずんずん新しくジャンルを開拓できる人はよい。
ぜひ何物にも影響されることなく、我流で通してよいと思う。
だけど、
絶対どこかで詰まるし、
何かに似ていることはあり得る。
それくらい、物語というのは歴史が深いし、
複雑なものなのだ。
そういう時に、型や理論が助けてくれるんだよな。
だから、僕はまず我流で書いてしまえ、
と思っている。
全然だめだったなあ、
と思ったときに、初めて理論書を紐解けばいいと思うけどね。
そのときにここが参考になれば幸い、という程度に考えている。
だからまずは短編(5分とか10分とか)をたくさん書くのだ。
まずはショート用のプロットを100本書くのだ。
そして、15分、30分、60分、120分と、
伸ばしていけば書けるようになると思うよ。
どこかで詰まったら、
どこかのヒントを真似してみればよい。
習作というのは、外にでないものだから、
真似しやがって、と言われるわけではない。
外に出すものだけは、
それがばれないようにすればいいだけのことだね。
我流で書ける部分は、一部分は少なくともあると思う。
そこがあなたのオリジナリティのある部分だ。
おそらくそれが最初のほうで我流で書けたものだろう。
それは大事にして、いつでも使える武器にしておくべきだ。
それが最強の武器になるようにしたい。
型や理論は、あくまで通常武器扱いしておくと、
いいと思うよ。
2025年01月08日
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