2025年01月08日

我流と守破離

我流っていつもカッコイイ響きよね。
何物の影響も受けず、自分だけで開発した天才。
自分がそうなりたいのはやまやまだ。
だけど、
物語というのは、かなり我流の通用しない世界だ。


たとえば格闘技。
かなりセオリーが出来ていて、
街の我流ケンカチャンピオンは通用しない世界になっている。
型にとらわれない、
自由な動きの我流が活躍するドリームを夢見てしまうが、
案外通用しない。

そういうジャンルは、つまりある程度「型」「セオリー」の、
強いやつが出来ているということだ。

書道もおそらくそんなことだね。
我流の文字が良かった試しがない。
なんなら読めないし。
有名人のサインとか我流だけど、読ませる気ないだろ的なものだよね。
(偽造を防ぐ意味はあるのかもだが)

音楽もセオリーが強い。
どうやったってヘンテコなメロディーになるだろう。
パターンがある程度あるんだと思うよ。
我流で作曲できたらそれこそ天才だよ。
ある程度色んな曲を知ってるから出来るんだと思う。


もし我流でやるなら、
音楽の例のように、
基礎理論を勉強する必要はなくても、
世界の色んな音楽を聞いた経験は必要だと思う。

格闘技や書道でも、
自分がそのように動けるかは置いといて、
強いものやいいものを見ている必要はあるだろうね。

ということは、物語も同じだ。
そもそも物語の執筆というのは格別難しくて、
見よう見まねで出来るものじゃない。
ある程度書いた経験が必要で、
何回も書き直せるだけの経験がないと難しいと思う。

だから、
型や理論があるんだよね。
ジャンルのような型、
展開のパターンやよくある設定の型、
三幕構成という型などなど。

このブログでは、典型的な型や理論、
よくあるもの、そして僕独自のものを含めて、
たくさんの型や理論を書いている。

芸事には守破離というものがある。
守って、ちょっと破って、そして全然離れたもので、
一流派を立てる、という考え方だ。
結局基礎の型が出来ていないと、
一流派を立てるほどには、
我流だけじゃ無理だよな、
とあらゆる時代で言われてきたのだ。

とはいえ、
物語は師匠が教えてくれたり、
教室があったり、
型があるわけではない。
だから自得がむずかしくて、
だから僕はこんな感じで昔から垂れ流している。


我流で最後まで書けて、
我流で何本も書けて、
我流でずんずん新しくジャンルを開拓できる人はよい。
ぜひ何物にも影響されることなく、我流で通してよいと思う。
だけど、
絶対どこかで詰まるし、
何かに似ていることはあり得る。
それくらい、物語というのは歴史が深いし、
複雑なものなのだ。

そういう時に、型や理論が助けてくれるんだよな。
だから、僕はまず我流で書いてしまえ、
と思っている。
全然だめだったなあ、
と思ったときに、初めて理論書を紐解けばいいと思うけどね。

そのときにここが参考になれば幸い、という程度に考えている。


だからまずは短編(5分とか10分とか)をたくさん書くのだ。
まずはショート用のプロットを100本書くのだ。
そして、15分、30分、60分、120分と、
伸ばしていけば書けるようになると思うよ。
どこかで詰まったら、
どこかのヒントを真似してみればよい。
習作というのは、外にでないものだから、
真似しやがって、と言われるわけではない。
外に出すものだけは、
それがばれないようにすればいいだけのことだね。


我流で書ける部分は、一部分は少なくともあると思う。
そこがあなたのオリジナリティのある部分だ。

おそらくそれが最初のほうで我流で書けたものだろう。
それは大事にして、いつでも使える武器にしておくべきだ。
それが最強の武器になるようにしたい。

型や理論は、あくまで通常武器扱いしておくと、
いいと思うよ。
posted by おおおかとしひこ at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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