2024年09月23日

まあおもろいやん(「侍タイムスリッパー」評)

「カメ止め」超え、なんて扱われ方をするのは、
少し気に食わない。
カメ止めが実験映画的な飛び道具だとしたら、
本映画は清き正しき王道映画。

まあ、ふつうにおもしろかったよ。
でもただそれだけだな。


以下ネタバレで。


「カメ止め」もこの映画も、
映画を作る人たちの映画。
両者に共通してる欠点が、
「なんでそんなに映画が好きなのかわからない」
ところなのよね。

映画が好きな人たちがつくってるからだろうけど、
そこが無前提の事実になってるのが気になった。

僕らはそこまで映画を好きじゃないし、
時代劇を好きじゃない。
名作は好きだが、クソみたいな作品だってあるんだぜ。
それ全部を愛せるほど僕はお人よしではない。

今この人たちの作ってるものがクソ映画なら、
作る意味なんてないとすら思ってる。

それを覆すほどの、
映画への情熱が足りない。
つまり、
「映画を作ることへの感情移入」ができない。

ヒロインの助監督が、
セーラームーンの代わりに暴れん坊将軍の下敷きを使ってたのは、
なかなか良かったけれど、
それだけ?って感じだものね。

「侍の想いを残す」っていうけど、
娯楽映画に想いを残されてもなあ。
そんなの娯楽の邪魔だよ。
その映画の台本にない段取りだろ。

だから、
「邦画の味噌汁一杯の心意気」みたいな、
ダメな意味での現場バカにしか見えなかったのよね。


一方、映画への憧れを描いた作品に、
「ニューシネマパラダイス」がある。
「この田舎町にも最新の映画館ができる」
というワクワク感や、
あまりにも人が入れないから外の白壁に写した粋なエピソードや、
何より映画を見て泣いたり笑ったりして、
心から映画を楽しむ観客が描かれる。

僕はこれが足りないと思う。

映画はなんのためにつくるの?
カメ止めのゾンビ映画はおもしろいか?
ここで作られてるハリウッドからオファーされる監督の時代劇は、
おもしろいのか?

楽しんだ観客はラスト付近に少し描かれる。
寺の夫婦のリアクションとしてだ。
命を賭けた真剣の結末がそれかよ。
「スタア誕生やな」やないやろ。
「続きが見たい」とか、
「次はどんな映画なんやろ」とかに、
なるべきではないのか。


時代劇を初めて見た高坂が、
切られ役になりたいと助監督に、
あなたのつくったものは素晴らしいのだというシーンと、
中打ち上げでスタアが演説した、
「時代劇をもう一度やりたい理由」が、
この映画の魂の部分だけど、
それが両方とも演説なのよね。

熱い想いを吐露する→相手が感動する、
だけじゃあ映画ではないよ。

もちろんそういうシーンはあってもいいんだけど、
それをテーマにしてはいけない。

スタアの時代劇をやめた理由、
切った相手の顔が忘れられないから、を、
たかが1シーンでトラウマ克服していいのかよ。

ドラマチックなんだかなんだかわからない塩梅だったね。



とはいえ、
全体的なまとまりは、
まあまあ映画を見た感じになったので、
まあまあやな、
という評価かな。

このレベルの出来の映画が、
ごろごろと転がってないから、
珍しく見えてるだけでは?

カメ止めみたいな奇跡が、
なんて期待せずに、
ふつうに面白いものを量産すればいいのに、
と昨今の映画業界のダサさを、
少し垣間見た感じかな。

posted by おおおかとしひこ at 03:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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