Twitterから。
> 夫にバースデーケーキのろうそく買ってこいって言ったらこれですよ
とともに仏壇用のロウソク大の二箱の写真。
https://x.com/wonkamako/status/1835969078928031853
俺、正解する自信ないわ。
バースデーケーキ用のロウソクを売ってる所、
見た記憶がない。
どの店のどの棚にあるのか、見当がつかない。
近そうなジャンルを考える。
ケーキ→お菓子の調理器具を売ってるところ
→見たことがない→デパート?
火→アウトドア用品ではないだろう
と、まず売り場や店のジャンルがわからない。
特別なもの→パーティグッズ→ハンズ?
ケーキ屋で僕はケーキを買ったことがない。
だけどケーキ屋に入って聞けば、
あるかも知れない。
売ってるところを教えてくれるかもしれない。
これ、かなりの難問だ。
百均が候補に出るとは思えない。
百均のたくさんのコーナーを全部見てないからだ。
同様にドンキに行けばあるかもなとは思うが、
近所にドンキもホームセンターもない。
だけどワンチャン百均に行くかもなー。
一軒目ではなく、困った末のワンチャンでね。
そして店員の「そこになければないですね」
に恐れながら「バースデーケーキ用のロウソクありますか」
と聞くのではなかろうか。
人は、同じものを見ていても、
見ているところが違ったりする。
いつも行ってる店のコーナーに、
誕生日用のロウソクがあったとしても、
僕はこの人生で一度も見てこなかった可能性が高い。
Amazonで買うことは可能だろう。
ググればヒットするだろう。
だがリアル店舗で、必要のないものを目に入れていない状態では、
記憶にはわざわざ入っていないのだな、
と自分の「世界の理解の仕方」を自覚する。
ネットミームから拾ってきた。
少なくとも僕はこの男のような店の利用の仕方をしている。
他は見てないから、ロウソクの存在を意識したことがないわけだ。
さて、男女の差を議論するのはこの記事の趣旨ではない。
趣旨は、
「人は見てる世界が違う」ということ。
つまり、
「他人が見ている世界は、自分と同じではない」だし、
「自分が見ている世界は、他人と同じではない」だ。
もう少し脚本論的にいえば、
「あるものを見て、把握するシミュレートを、
複数通り可能か?」ということだ。
つまり、
異なる性格や人格の、複数のキャラクターの、
「感じ方、見方」を、シミュレートできるか?
ということ。
極端な男女差のような例のように、
「同じ世界を見ていても、まるで異なるところを見ている」
のように、創作できるか?
という話をしている。
つまり、
「自分の見方がデフォではない」ということだ。
これは中々難しい。
複数のリアクションをシミュレートすることは、
自分のデフォ、親しい人1、2、
くらいが限界ではあるまいか。
そこまでリアルでなくて良いのなら、
ある程度複数を創作することは、
キャラクターづくりに慣れていれば可能だろう。
だけどリアリティのあるやつは、
かなり難しいと思う。
その出来が良いのならそれだけで売り物になりそう。
シナリオが役者の肉体を通るのは、
結構意味があって、
脚本家の一面的な「世界の見方」を、
「バラバラな役者の世界の見方」の、
アンサンブルにできる利点があるわけだ。
もちろん最終的なオーケストラの指揮者は監督だが、
そのアンサンブルは、バラツキがあってリアリティがある、
ように組むのが良い。
もっとも、
その世界の見方のバラバラさが、
脚本に書かれているのが理想だ。
なおツイ主によれば、
毎年手作りケーキを作っていて、
百均へ行けと指示まであったらしい。
それでも異なる百均ショップに行ってしまい、
このような顛末だったそう。
○○の百均の○○のコーナーまで、
なぜ指示できなかったのか。
世界に誕生日ロウソクの存在しない人がいることを、
世界に誕生日ロウソクを買ったことがある人が、
想像できなかったからだろう。
私たちはこのようなすれ違いを考えつかなければならない。
コンフリクトは、
このようなものから生まれる。
双方の立場から、
「相手の世界の見方を理解していない」を、
想像しなければならない。
「あなたとはこれ以上同じ道を歩けない」
ことが、決裂の原因になる。
ロウソクが原因ではない。
世界の認識の差が原因なのだ。
そしてそれを、ロウソクのような具体的なもので表現できたときに、
シナリオ的に意味のあるものになる。
2024年09月23日
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