美しい海をバックに向かい合う、いわくありげな男女。
絵にはなっているが、
作品の意味や価値を託す、
メインビジュアルとしてはあまりにも平凡だ。
ドラマや映画や漫画で、
100万回は見たカットだからだ。
なぜこれをメインビジュアルに持ってきたのか、
関係者に小一時間ほど問い詰めたい。
「誰よりも強く抱きしめて」
平凡な若手男女のラブストーリーかと思いきや、
内容はちょっといいじゃない。
適宜紹介文をはしょると。
> 強迫性障害による潔癖症の絵本作家と、絵本専門の書店員が、
> 同棲中の恋人同士でありながら触れることさえままならない関係
セックスを汚いものだと思う、
最近の潔癖男子の流行をうまく取り入れて、
アイデアも悪くない。
絵本はなんか関係あるのか、ただのガワなのかは不明。
僕が怒っているのは、
「なぜこの秀逸なアイデアをアイデンティティにしないのか」だ。
絵本に溢れるアトリエないし店内で、
女を後ろから抱く男のポーズで、
彼女に触れられていない手があり、
彼は苦悩し、彼女は苦しげに求めていればよいではないか。
もっと凝れば、ガラス越しに抱き合おうとする男女でもいいさ。
なぜ海。
なぜ向かい合うだけ。
なぜ触れたいのに触れられない苦悩を取り上げない。
意味がわからない。
何をショウのアイデンティティだと思っているのだろう?
こんど運動会やるんですよ、目玉は飛び入り参加OKの50m走です、
こんど盆踊りやるんですよ、新曲3曲追加です、
こんど映画やるんですよ、海で美男美女が向かい合います。
圧倒的に三番目がつまらなさそうじゃん。
運動会や盆踊りはさ、「自分がやる」から催し企画が平凡でも、
「やったことないからこれを機会にやろう」がありえる。
でも映画はこっちからすることがない、
ただ見るだけのものだ。
古今東西、すべての映画、ドラマ、漫画と、
比較されることになる。
それでこの平凡さは、捨ててかかるべき内容でしょ。
100万回見た、「フィクションではごく普通の絵」だからね。
このアイデアを考えた原作者に失礼だし、
脚本家や監督にも失礼だ。
本質を抉ってないからだ。
もっとも、
この映画が「海で男女が向き合う」程度の、
つまらぬ本質になってるなら、
宣伝部はいい仕事をしてる。
なんかいろんなラインナップの中で、
若い男女が適当に入るデートムービーくらいの、
軽アトラクション扱いされてるわけだ。
その場合、原作者はキレていい。
宣伝部がキービジュアルを決めることに、
僕はまったく納得がいかない。
なぜ作品を作る人(脚本家や監督や原作者)が提案し、
それを議論しないんだろう?
宣伝部が歴史的にいいデザインができるならOKだが、
こんなの中学生以下の絵力だ。
宣伝部休職して、三年くらい美術館で働け。
図案というものについて、
生涯の仕事として考えてるとはとても思えない。
2024年09月30日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック