人が人を好きになるのはなぜか。
色々な理由があると思うが、
「同じだから好きになる」という要素と、
「違うから好きになる」という要素があると思う。
「同じだから好きになる」というのは、
性格や好みが似ているとか、
同じ出身地であるとか、
自分に似たところを見出して好きになるパターンだ。
共感による好きだと言えるだろうか。
感情移入も、基本的にはこれを狙う。
スペックが似たようなものを好きにならせるのではなくて、
「この境遇に追い込まれたら、自分もそうするだろう」
という、状況と行動によってなされるのであった。
人は、自分に似た人を好きになる。
それはたしかだ。
だけど、それだけじゃないんだよね。
もしそれだけが真実であったら、
「あの人私と同じ身長!好き!」ってなるはずだからね。
そんなわけはない。
逆の、「自分と違うから好きになる」というのもある。
自分にない、スポーツがすごいから好きとか、
自分が知らない世界を知っているからとか、
そういうやつだ。
憧れという機能に近いだろうか。
フィクションの主人公は、
観客ともし同程度であったら、
活躍することは不可能だろう。
なんのとりえもない普通の人ならば、
尋常ならざる事態を解決できるとは思えない。
なので、フィクションの主人公は、
「どこかほかと違う何か」を持っていることが多い。
ここを好きにならせると、強いだろう。
じゃあ一体どっちなんだい、
となるだろう。
僕は、両方をするべきだと考えている。
つまり、あるキャラクターについて、
「自分と違うから好き」と、
「自分と同じだから好き」の、
ふたつを与えるといいと考える。
つまり、ギャップだ。
ギャップというのは、突き詰めれば、
「自分と同じ部分が好きで、自分と違うところが好き」
という状態に陥らせること、
だと考えればよいのでないか。
「この人は自分と違う、突出した人」というのを先に描いておいて、
「意外とこういう自分と同じ面もあるのだ」となれば、
ギャップが生まれることになる。
逆もあって、
「この人は自分と同じ感じだから話しやすい」とかを描いておいて、
意外な活躍場面をつくり、
「自分と違うこんな面を隠していたんだ」と好きになるパターンね。
どちらも、ギャップが好きになるパターンだね。
ギャップが好き、というのを「ギャップそのものが好き」という風にとらえるのではなく、
「両面とも好き」にならせるべきだと思う。
そして当然だけど、2要素だけでなくて、
どんどん好きな面が沢山出てくるのが理想だ。
つまり、最低2要素、できればもっと、
という感じが、「好き」の原動力になると思う。
人気キャラクターは、
ただそこにいるだけで人気になるわけではない。
少なくとも2要素を持ち、
さらに沢山のエピソードを持つことだろう。
そういう肉付けをするにあたって、
最初の2軸が柱になるよ、
ということだ。
これを自分でコントロールできるのが、
モテる人やホストになれるのかもしれないが、
モテナイ人はフィクションでそういう人を登場させればいいだけのことだ。
我々は現実で好かれるかどうかはどっちでもよくて、
フィクションの中に出てくる人物を好きにならせられないと、
つまらないということになる。
2025年01月19日
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