2025年01月22日

中心的役割

主人公はストーリーの中心である。
だけど、どのくらいの中心ぷりかは、
ストーリーによる。


ストーリーとは問題の解決である。
だから、解決するのは主人公であるべきだ。

よくある間違いは、
ラストの解決の瞬間だけやればよい、
と思っているとき。

他は全部やらせておいて、
最後の一筆だけやる、みたいなのは、
主人公ではない。

そんな最後だけオイシイところをかっさらうやつをみてて、
楽しいかい?
学生がヒイヒイ言いながら書いた論文が、
教授の名前で発表されるようなものだぞ?

理想は、
問題解決の最初の発起人になり、
解決の過程において主導的役割を果たし、
メンバーのリーダーになり、
危険があっても泥を被って走り回り、
クライマックスにおいて、
ついに解決した主体的な人物を、
主人公というべきだ。


もちろん、
一人で解決すればそれも主人公だが、
多くのストーリーの場合は、
複数のメンバーで解決することが多い。
それは、
現実的に人間一人で解決できることには限界があるからだ。
だから、チームで解決に当たったほうが、
リアルな解決に近くなる。

なので、そのメンバーの中で、
中心的な、リーダー的な役割を果たすのが主人公であるべきだ。
つまり、リーダーこそが主人公だということだ。

これらを勘違いすると、
リーダーやほかの人が解決にまい進し、
汗をかいて泥をかぶる中、
後方の安全地帯にいて観察している人を主人公にして、
最後の最後だけ活躍させる、
というメアリースー型主人公になってしまう。


現実には、
メンバーのリーダーだけが主人公になるのではない。
色々な問題解決において、
リーダーが解決の主体にならないプロジェクトもあるからね。
リーダーはあくまで責任者ポジションで、
成功へ導くのは別の主体的人物である場合もある。
その人が、主人公だ。

もちろん、主人公はその役割を時に他人に譲ることがある。
スーパーマンでない限り、
誰かの助けを借りるのがリアルなので、
そういう場面が時々あることもある。
全部の小さな解決を主人公がやる必要はない。
だけど肝は主人公が握っている、でないと、
主人公とは言えなくなるだろう。


つまり、
問題の解決という大まかなストーリーラインにおいて、
主人公だけがメインで活躍することになる。
もちろん脇の活躍もあるが、
メイン活躍は必ず主人公で、ひっぱり役だ。

ラストに一回だけ活躍すればいいのではなく、
常に活躍している必要があるわけだ。
主人公とはつまり、ストーリーの看板になるわけだ。



人生経験が少ない脚本家は、
これを描くことが下手なことが多い。
人生の解決をあまり経験していないと、
「自ら問題を解決する」という経験が積めていないため、
誰かが解決するのを見るだけの役割になってしまうことが多い。

でも、人生経験の多寡がそれを決定するとは僕は思っていない。
要は観察力であり、想像力だ。
人生経験が少ないと、想像力も働きづらい、
という傾向なだけの話。
出来る人は、
経験のないことでも経験したように書けるからね。

なので、最終的に主人公が主人公になっていれば、
よいと思う。


言い出しっぺ、事態を動かす人、
事態を進行する人、事態に影響を与える人、
チームを率いる人、事態の責任を取る人、
首謀者であり実行者である人。
おいしい所だけしゃしゃり出てくる人ではなく、
最初から最後までベタでいる人。

その泥臭さを描くのが、ストーリーだと思う。
だからこそ、
ラストは自分で決着をつけるし、
もっとも幸せになる人だと思っている。


つまり、
そういう主体的な関りをしていないのならば、
主人公じゃないんじゃないか、
と疑ってもいいと思う。

誰かほかの人物がやることを、主人公がやれないか、
などと検討してもよいと思う。
主人公が引っ込んでる時、
ここに主人公を置いたら、と考えてもいいと思う。


ドラマ「風魔の小次郎」において、
後退気味だった原作主人公を、
ストーリーの真ん中に持ってくる方法については、
監督メモに詳しいので繰り返さない。
このようなことを、
自分のシナリオでチェックするべきだ。

もちろん、たった一人で偉大なことをすることは難しいし、
共感を得ることも難しいから、
共感を得つつ、しかもチームで戦うことを、
描くとよいだろう。
その塩梅は、主人公クラスか脇役クラスかを、
意識するといいと思う。


ついついやってしまうのは、
主人公は自分だと思い込むことだ。

作者=自分には出来ないことAを、その主人公はするかもしれない。
(だって作者はAができなくても、世の中にAをできる人は沢山いるから)
作者=自分に出来ることBすら、その主人公は出来ないかもしれない。
(だからBができる人を仲間にする)

ABを設定すると、
自分だという思い込みから逃れられると思う。
その時に、客観的にストーリーを捉えられると思う。
posted by おおおかとしひこ at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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