2025年01月23日

オリジナリティとは何か

自分だけがオリジナルと思っているかもしれない。
世の中を広くみれば、
よく似たものは誰かが思いついている可能性もある。


映像シナリオだけに限らず、
ドラマや物語に限らず、
もっと広く世の中にあるものを知るべきだ。
世の中の人はたいてい同時代の情報を見聞きしているわけだから、
似たようなアイデアが出ることがあるのは避けられない。

ただし、
その中で勝つのは、
「最も洗練された、最もシンプルで面白いもの」
だと思う。
(もちろん、早く発表したほうが勝つことが多いけど、
最終的な勝利は、という話かも)

だから、同時代的にオリジナルだと思いつつ、
それでいて、練りこむべきだ。
この塩梅が非常に難しいのだ。

だから、アイデアノートをつくろう。
おもしろいアイデアを思いついたら、なんでもメモしておくとよい。
それが結局芽を出すことがなくても、
誰かが似たアイデアに基づくものを、後日発表するかもしれない。
そのときに、
「自分にはまとめきれなかったが、この人はここまで練りこんだのだなあ」
と確認することがあるかもしれない。
その時には、その人に負けたと思うことだ。
某青山のように、しょうもないレベルでパクられたと思うことなく、
その人のまとめ方を賞賛するべきだろう。

逆に、
「もし自分がそのアイデアを育てていたとして、
ここまでうまくまとめるにはどうすればよかったか」
という反省会を開くこともできるわけ。

アイデアというのは、一個だけで育つことはほとんどない。
そこからの広がり方には限界がある。
大きなアイデアがひとつあり、
それより小さなアイデアがいくつかあって、
そのスパークで育つような気がする。

狭いフィラメントに電気を通せば光を放ち、
電球というものになる、
という大きなアイデアが一個あったとしても、
それが竹であるとよい、
という別のアイデアと結びつかなければ、
電球は完成しなかったろう。
たった一つから演繹できるのは理想だけど、
花開くにはもう数個の小さな何かが必要な気がする。
それを触媒と呼んでもいいし、
小さなアイデアと呼んでもよい。
(最悪なのは、同じサイズのアイデアを思いつき、
並べてしまい、何が大事なのかわからなくなることだ。
だから大きなアイデアに、それより小さなものがぶら下がっている状態のものが、
最善の形であろう)

そんな風に、アイデア全体を整理できたときに、
アイデアとしてまとまり、
全体をつくれることになるだろう。

出来たものは、そうなっているはずだ。

アイデアノートは沢山書こう。
もし過去のアイデアでまだ実現されていないものは、
今実現できるかもしれない。
ネット検索ができるようになって、
その類似チェックはしやすくなった。
(バレるのが速くなったともいえるが)

そんななかで、
オリジナリティは競われる。
大きな一個のアイデア、ビッグアイデアばかりを見ていると、
そのような細かい仕上げが見えないことになる。
同じビッグアイデアから出発した二者が、
まったく別のものとして結実することもある。

そのアイデアの木全体でアイデアであり、
オリジナリティであることに気づくと、
オリジナリティに迷ったときに整理しやすいかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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