自分だけがオリジナルと思っているかもしれない。
世の中を広くみれば、
よく似たものは誰かが思いついている可能性もある。
映像シナリオだけに限らず、
ドラマや物語に限らず、
もっと広く世の中にあるものを知るべきだ。
世の中の人はたいてい同時代の情報を見聞きしているわけだから、
似たようなアイデアが出ることがあるのは避けられない。
ただし、
その中で勝つのは、
「最も洗練された、最もシンプルで面白いもの」
だと思う。
(もちろん、早く発表したほうが勝つことが多いけど、
最終的な勝利は、という話かも)
だから、同時代的にオリジナルだと思いつつ、
それでいて、練りこむべきだ。
この塩梅が非常に難しいのだ。
だから、アイデアノートをつくろう。
おもしろいアイデアを思いついたら、なんでもメモしておくとよい。
それが結局芽を出すことがなくても、
誰かが似たアイデアに基づくものを、後日発表するかもしれない。
そのときに、
「自分にはまとめきれなかったが、この人はここまで練りこんだのだなあ」
と確認することがあるかもしれない。
その時には、その人に負けたと思うことだ。
某青山のように、しょうもないレベルでパクられたと思うことなく、
その人のまとめ方を賞賛するべきだろう。
逆に、
「もし自分がそのアイデアを育てていたとして、
ここまでうまくまとめるにはどうすればよかったか」
という反省会を開くこともできるわけ。
アイデアというのは、一個だけで育つことはほとんどない。
そこからの広がり方には限界がある。
大きなアイデアがひとつあり、
それより小さなアイデアがいくつかあって、
そのスパークで育つような気がする。
狭いフィラメントに電気を通せば光を放ち、
電球というものになる、
という大きなアイデアが一個あったとしても、
それが竹であるとよい、
という別のアイデアと結びつかなければ、
電球は完成しなかったろう。
たった一つから演繹できるのは理想だけど、
花開くにはもう数個の小さな何かが必要な気がする。
それを触媒と呼んでもいいし、
小さなアイデアと呼んでもよい。
(最悪なのは、同じサイズのアイデアを思いつき、
並べてしまい、何が大事なのかわからなくなることだ。
だから大きなアイデアに、それより小さなものがぶら下がっている状態のものが、
最善の形であろう)
そんな風に、アイデア全体を整理できたときに、
アイデアとしてまとまり、
全体をつくれることになるだろう。
出来たものは、そうなっているはずだ。
アイデアノートは沢山書こう。
もし過去のアイデアでまだ実現されていないものは、
今実現できるかもしれない。
ネット検索ができるようになって、
その類似チェックはしやすくなった。
(バレるのが速くなったともいえるが)
そんななかで、
オリジナリティは競われる。
大きな一個のアイデア、ビッグアイデアばかりを見ていると、
そのような細かい仕上げが見えないことになる。
同じビッグアイデアから出発した二者が、
まったく別のものとして結実することもある。
そのアイデアの木全体でアイデアであり、
オリジナリティであることに気づくと、
オリジナリティに迷ったときに整理しやすいかもしれない。
2025年01月23日
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