この物語が優秀なのは、悪役によると思う。
以下ネタバレで。
ノヴァクという元傭兵にして異端審問官。
もともと協会の人間ではないから、
仕事をして認められなければならないという立場と、
元傭兵だから残忍な拷問を知ってても不思議ではない、
という、仕事に冷徹で狡猾な男。
この男が全編にわたって登場することが、
この物語を面白く見せている。
前項の議論から、
物語とはコントラストによる対立である。
だから闇が深い方が、光が際立つのだ。
もしこの男が単なる教会の神父であったら、
ここまで面白くはならなかっただろう。
残忍で狡猾で、神父にいないタイプだから、
恐怖を感じるわけだ。
ネガティブな感情がすべてこの男に集約している。
だから多くの主人公の動機は、
「この男から逃れること」である。
思想的対立はない。
この男は天動説を信じているわけではない。
ただ、職務に忠実なだけ。
人間として会話できない感じもよい。
ターミネーターでいえばT2000だ。
機械のように冷徹で、蛇のように執念深い。
だから怖いのだ。それがよい。
この男がいなければ、
ここまで主人公サイドが盛り上がることはなかった。
この男の存在によって、
主人公サイドの光がより強くなる。
「ノヴァクに負けないこと」が、
自分たちの動機を強くする。
「親に禁止された恋愛ほど盛り上がる」ことと、
原理は同じだ。
多くの物語において、
悪役は決定的に重要な役割を果たす。
ルークスカイウォーカーは魅力的な主人公ではないが、
ダースベイダーの存在によって、
急に主人公になれる。
悟空は、ケンシロウは、ピッコロやベジータ、ラオウによって、
急に主人公になれるのだ。
(聖闘士星矢がポセイドン編以降盛り上がらなかったのは、
敵役がそれまでの敵、黄金聖闘士よりも魅力がなかったからだ)
敵が、無慈悲で強力で、話し合う余地がない、
ものすごい敵であるほど、
話は盛り上がる。
ハンターハンターのキメラアント編が圧倒的に面白いのは、
敵の魅力に依存しているからだ。
王メルエムが強大であればあるほど、
それにぶつけるネテロなどが面白く見えてくるわけ。
影があって、光を感じれるんだな。
あー、亜人の細目もよかったね。
娘が異端者である展開、
その娘が身代わりで死んだと思っている展開は、
かなり面白かった。
感情を表さない男が、感情を表す展開は面白いからね。
それを、手袋という小道具に象徴したことも優秀だ。
だからこそ、最期に娘と再会してほしかったなあ。
娘は成長して解放戦線のボスになっていたのだから、
そこの再会は非常にドラマチックになっていたのに、
とても勿体なかった。
ラファウの幻とかと会ってる場合じゃなかったと思う。
だから、
この男の死が、物語の終わりなんだよな。
最終章の失敗は、
この男をその前に死なせてしまったことだろう。
最後のアンカー、アルベルトと、
微妙にすれ違って死ぬ、
くらいにできなかったのかなあ。
「チ。」は、終わり方を間違えた作品だと僕は思う。
稀代の悪役の死こそが、
物語の結末と一致するべきだろうに。
この男が全主人公と会っている、
という構造はとても面白い。
だからつまり、「チ。」とは、
ノヴァクと石箱の物語である、
といっても過言でないのかもしれない。
ジョジョがディオと波紋の話である、
ということと同様に。
脚本論的には、
このような悪役を生み出せるか?
ということになってくる。
こういう悪役を生み出せれば、
脚本家としては万々歳だよね。
アンチテーゼの反対がテーマだ。
だから、悪役は物語の補集合なのだ。
2024年10月14日
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