僕がものを考えたり読んだりするときに、
脳の中では声がしない。
音のない静寂な世界で、意味だけが右往左往している。
これは内観による観察結果なのだが、
その証拠の例を見つけたので記録しておく。
薙刀式において、
ひ=X、み=S裏と、ともに苦手の左薬指だ。
頻度からすれば妥当な配置である。
このとき、
「微妙」と「秘密」の頭二つのカナが、
同じ運指であることにさっき気づいた。
どちらも、同時打鍵やシフトがあるものの、
XSの左薬指縦連から始まる語だ。
脳内発声があればそれは考えるまでもなく明らかだ。
ひみ、の音があるからね。
ところが僕は、
これが同一の音と認識してなかったみたい。
だって、「微妙」と「秘密」は、
意味的に遠いじゃない?
漢字も違うし、意味的にも全然違う語だ。
だから、全然違うのに運指が似てるなあと、
意味と指の動きの距離感の違いに、
違和感を感じたわけ。
で、あとから、同じ音やん、と気づいたという。
音のない世界では、音がない進行がふつうで、
音は別の要素的な感覚、
という世界が想像できるだろうか。
そういえば僕はダジャレを自分から書くことはない。
気付けないからだ。
話すときは音が随伴するから、
喋る時はダジャレを言うこともある。
他人の声があれば他人のダジャレもわかる。
読んでる時、気づかないこともあるね。
まあ意味的に「ここ面白いこといいました」ってなるから、
全く気づかないことはないけど。
僕の考え、発想の中には、音の随伴を前提とした何かがないんだよね。
「音的に似てる言葉を探そう」なんて時がある。
「ことば」なら「ooa」の母音が通じれば似てるから、
「ココア」「細田」「桃屋」なんかが該当する。
僕はこれが苦手。
口を動かさないと考えられないね。
脳内発声がある人は、口の助けがなくても行けるのかな。
歌の中の音的な言葉遊びなんかに気づくのも、
自分が歌って初めて気づくこともあるくらい。
だから、韻を踏むのがとても苦手だ。
だから、まさか微妙と秘密が似てるとは思いもよらなかった。
音を重視した配列と、
意味を重視した配列があるのだろうか。
薙刀式は音はあまり考えずに、
意味優先でつくられた配列だ。
だから、ある、ない、する、して、こと、
などの意味を優先したカナ2連接を、
中心的アルペジオに振っているのだろう。
音を中心としたら、
「よく使う音を中心にしよう」ってなるだろう。
薙刀式は、
「よく使う意味を中心にしよう」
という生理的感覚があると思う。
そのへんが、「文章書きに向いている」
(音の連なりよりも意味の連なりを重視する)
のゆえんだと思う。
だから薙刀式は、
言葉遊びやダジャレや、歌詞を書くのにはむいてない、
のではないか?
少なくとも、目的の俎上にはあがっていないなあ。
2024年10月24日
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