2024年10月24日

【薙刀式】脳内発声がないと、音の同一性に気づかない

僕がものを考えたり読んだりするときに、
脳の中では声がしない。
音のない静寂な世界で、意味だけが右往左往している。

これは内観による観察結果なのだが、
その証拠の例を見つけたので記録しておく。


薙刀式において、
ひ=X、み=S裏と、ともに苦手の左薬指だ。
頻度からすれば妥当な配置である。

このとき、
「微妙」と「秘密」の頭二つのカナが、
同じ運指であることにさっき気づいた。

どちらも、同時打鍵やシフトがあるものの、
XSの左薬指縦連から始まる語だ。

脳内発声があればそれは考えるまでもなく明らかだ。
ひみ、の音があるからね。

ところが僕は、
これが同一の音と認識してなかったみたい。
だって、「微妙」と「秘密」は、
意味的に遠いじゃない?
漢字も違うし、意味的にも全然違う語だ。

だから、全然違うのに運指が似てるなあと、
意味と指の動きの距離感の違いに、
違和感を感じたわけ。

で、あとから、同じ音やん、と気づいたという。


音のない世界では、音がない進行がふつうで、
音は別の要素的な感覚、
という世界が想像できるだろうか。



そういえば僕はダジャレを自分から書くことはない。
気付けないからだ。
話すときは音が随伴するから、
喋る時はダジャレを言うこともある。
他人の声があれば他人のダジャレもわかる。
読んでる時、気づかないこともあるね。
まあ意味的に「ここ面白いこといいました」ってなるから、
全く気づかないことはないけど。

僕の考え、発想の中には、音の随伴を前提とした何かがないんだよね。

「音的に似てる言葉を探そう」なんて時がある。
「ことば」なら「ooa」の母音が通じれば似てるから、
「ココア」「細田」「桃屋」なんかが該当する。
僕はこれが苦手。
口を動かさないと考えられないね。
脳内発声がある人は、口の助けがなくても行けるのかな。

歌の中の音的な言葉遊びなんかに気づくのも、
自分が歌って初めて気づくこともあるくらい。
だから、韻を踏むのがとても苦手だ。


だから、まさか微妙と秘密が似てるとは思いもよらなかった。


音を重視した配列と、
意味を重視した配列があるのだろうか。

薙刀式は音はあまり考えずに、
意味優先でつくられた配列だ。
だから、ある、ない、する、して、こと、
などの意味を優先したカナ2連接を、
中心的アルペジオに振っているのだろう。
音を中心としたら、
「よく使う音を中心にしよう」ってなるだろう。

薙刀式は、
「よく使う意味を中心にしよう」
という生理的感覚があると思う。


そのへんが、「文章書きに向いている」
(音の連なりよりも意味の連なりを重視する)
のゆえんだと思う。

だから薙刀式は、
言葉遊びやダジャレや、歌詞を書くのにはむいてない、
のではないか?
少なくとも、目的の俎上にはあがっていないなあ。
posted by おおおかとしひこ at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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