という極論を考えてみよう。
興行の本質は祭りである。
あなたが祭りを開催する人だとしよう。
祭りは定期的に開催する。
一年に一回の祭りを考えよう。
出し物を集めて、場所を取り、
色んな人が来るような仕掛けを考える。
かなり前から周到に準備して、
「祭りがあるから」と色んな人を説得して、
ついに開催して、みんな楽しかったと喜んで、
ついでに儲けるわけだ。
祭りは、人々は楽しく、
店を出す人は儲かる。
ウィンウィンのビジネスだ。
そして、大事なことなのだが、
一回成功したら、次も祭りはある、ということだ。
一年に一回やるなら、来年もやる。再来年もやる。
そうやって祭りは定着して、それが歳時記になる。
さて。その祭りを、56週にしたものが映画である。
あなたはその祭りをビジネスにする人だと想像しよう。
毎週毎週週末に祭りがある。新作が公開されるわけだ。
56本新作がなくてもよい。28本にしておいて、
公開週とそうじゃない週が交互に来てもよい。
まあ、なにかしら週末に祭りをやり続ける人、
が興行をする人だ。
どんなものがラインナップにあれば、
飽きられず、高収入になるだろう?
色んなジャンルのものが入れ替わり立ち替わりくるといいはずだ。
同じものが何個もあったら飽きられる。
だから、色んな色があるとよい。
で。
こうした俯瞰の状況のときに、
個々の作品性が重要だろうか?
そうではないだろう。
56週がトータルで儲かるために目玉の週をいくつか決めて、
そこに全力を投入しつつ、
マイナーな週も実験をしつつ回収したいだろう。
損はしてもまあいいが、全体としては、
祭りを維持していくだけの儲けは出さなくてはいけない。
そうしないと、祭りは終わってしまう。
興行とは、そのような自転車操業だ。
作品性が重要だろうか?
そうではないだろう。
個々の週がそこそこ儲かり、大ヒットがいくつかあれば、
大体儲けの見込みは立つだろう。
作品性というよくわからないものよりも、
儲けが見込めて、来年の56週も祭りが続けられることを望むだろう。
もちろん作品性があり、大ヒットにつながったスタッフたちには感謝したいが、
来年も同じヒットを期待するのは過剰だろう。
もちろん後世まで語り継がれるような、
「あの興行は名作だった」というものは排出するだろうし、
それが目玉になるかもしれないが、
一回の成功が必要なのではなく、
56週、何年も成功が必要なのだ。
その名作が、毎年の祭りのこの時期の定番になるような、
レギュラーになればラッキーだ。
それがシリーズものや、リメイクものになるわけ。
作品性が必要だろうか?
世間の祭りは作品性があるか?
作品性があるから人は集まっているか?
そうじゃないよね。
盆踊りは盆踊りがしたいから集まっているわけで、
その新規性、作品性を評価しに来ているわけではない。
屋台の焼きそばに作品性が必要か?
歴史を変えるほどのうまい焼きそばである必要性はあるか?
その作品性が高いことよりも、
「みんなが集まってわいわい騒ぐ」ことが、
祭りの本質である。
ということは、
カリスマが来るかどうかのほうが重要だ。
すなわち神である。
祭りの神は、スタアである。
その周りに人々が集まり、
わっしょいわっしょいとなるわけだ。
そこに作品性はない。
だから、
興行から見て、作品性は二の次である。
名作かどうかも重要ではない。
せいぜい、名作は単発で儲かることとか、
リバイバルしても客が入って、繰り返し儲けさせてくれるもの、
という認識なんじゃないか。
祭りをやりたい人は、
56週飽きられず、わっしょいわっしょいをやって、
楽しかったねー、と次も来てもらうことが目的だ。
名作かどうかはどちらでもよい。
さて。単純化して興行というものを考えた。
大きくは間違っていないだろう。
もちろん、昔から映画好きで、
名作でないものは映画ではない、と思っている興行主もいるだろう。
しかし興行主になることと、
作品の作者になることはまったく異なる能力だから、
興行主が名作をつくれるわけではない。
名作が生まれかかっているとしても、
どうしたらより名作になるか、どうしたら名作未満が台無しになるのかも知らない。
だから興行主は、
祭りが継続することが目的で、動機だ。
名作や作品性は置いておく。
この回転の中に、
我々の作品が投入される。
祭りになるだろうか?
感動や爆笑は必要だ。祭りのにぎやかしになる。
退屈は祭りではない。
だけど、見た人が人生を変えるような衝撃は、
祭りにいるかなあ。
一回の祭りにいるかいらないかじゃなくて、
56週、毎年毎年続く祭り、という流れにおいてだ。
たまにあって、目先が変わるのはいいよ。
でも毎回それは、極論いらないんじゃないかなあ。
にぎやかし。
それこそが祭りの正体である。
にぎやかすから、みんなでワイワイやろうぜ、
が祭りだ。
興行主は、作品はいらない。
極論すると、そう見えるね。
自分が映画館を持ってて、
映画の仕入れがその映画館のブランドになっているような、
小劇場は別だと思う。
館主の仕入れのセンスが、作品性のようなものだ。
だけどそうした小劇場は、老朽化して、館主も高齢化して、
どんどん閉まり始めているような気がする。
大型の映画館は、興行を続けている。
そこに作品性は必要なのかなあ。
ちょっと分からなくなってきた。
観客の目が肥えないと作品性は分らない。
つまり、祭りをうまくやるコツは、
祭りを学習させないことなんじゃないか、
とすら思ってしまう。
いや、うちは作品性がメインです、芸術性がメインです、
という映画館はあるんだろうか。
あっても知られていないし、メジャーにならないのは、
なんでやろ、と思ったわけ。
恵比寿ガーデンプレイスや渋谷シネマライズが元気だったころに比べて、
観客の目は肥えただろうか。
だから、我々作品性の高いものを作りたい人は、
どうしたらいいかな?
興行に乗っかるものを企画して、
その中に作品性を忍ばせて、
「興行として出すつもりだったのに、
作品性も高くて、蓋を開けたら大好評」
というものが理想なんじゃないか。
つまり、
企画書は、まず興行の列の中に入れるか?
という所が観点なのよ。
56週のラインナップに入れて、
祭りを継続させられるのか?という所なんだよ。
新規性があり、しかも安心して任せられるのか、
という点が重要になってくる。
興行から見たらね。
だから、
〇〇で成功した手法を使い、とか、
人気〇〇を使い、とか、
原作がヒットしたので、
という安易な方法が、祭りのラインナップになるわけ。
「まだ誰も見たことがないが、
完成したら名作になり、映画史を変える」
ものは、56本の中に1〜2本あればいいだけのことだ。
興行を続けていくことを考えれば、
リスク計算をどれだけしているかによるだろうね。
さて。
あなたはどういう企画をするか?
そして、その中にどのように、
作品性を融合させていくか?
作品作りと興行性という、
おそらくは真逆の観点を、
両方満足させられているか?
映画館という祭りは、
名作が作れなくても構わないのよ。
映画祭に行って、海外のを買ってくればいいんだから。
いや、国産の名作を連発したい、
と思っていないと思うんだよな。
だから脚本にシビアになっていない。
だから企画書だけ見て、祭りのラインナップを考えるだけだ。
興行が浅いと批判しているわけではない。
興行には興行の都合がある。
僕らが観客として深すぎて、
名作を沢山見ているから、よりよい名作を見たいだけで、
つまりは贅沢に映画を見たいだけなのだ。
だから我々は、
作品性が高く、しかも興行になるものを、
書くべきなのだ。
2024年10月17日
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