ってあるよね。
ColemakとかAZIKとか。
これって本当に役に立つのかなあ、
っていつも僕は思ってしまう。
たとえばColemakはqwertyから出発して、
数個ずつ入れ替えて最終的にColemakにいたる、
10段階くらいに分けられた練習法がある。
移行期間中何も打てなくなるのは辛いから、
ちょっとずつ変えるのならイライラも耐えられて、
速度もちょっと落ちるだけなので、
移行期間さえ耐えられれば、
移行が楽になるという考え方だ。
最初はかしこい、と思ったんだけど、
大きくガラッとは変えられないだろうなあ、
と思う。
運指感覚を刷新するならば、
まったく異なる骨格になるべきで、
中途半端になるんじゃないかなあ、
と予想する。
たとえばqwertyローマ字と親指シフトと薙刀式は、
運指の構造がまるでガラッと変わる配列だ。
だがそれゆえに、
中間状態があるわけではない。
原理そのものが違うからね。
それぐらいガラッと変えないと、
qwertyの磁場はでかいと思う。
全く違う新原理は、
旧原理をなぞってないから良い。
それを、Colemakで味わえないのでは?
と考える。
(触ったわけではないので想像だ。
経験者がいたら聞かせてください)
AZIKは、
qwertyローマ字では使わない文字の組み合わせ
(子音二連続など)
という空きエリアを利用してそこに拡張部を仕込む、
拡張qwertyだと言える。
だからqwertyの欠点、
A小指の多用、TYの打ちにくい位置の多用、
ホームキーをほとんど使わない、
などはそのまま継承してしまう。
それってqwertyという悪運指体系の、
動態保存よね。
もちろんtomoemon-AZIKみたいに、
2000以上の拡張があったりすれば、
だいぶ元のものは残ってないのかも知れないが、
ほとんどの人はそこまでいくまい。
だからやっぱり、
AZIKのアイデアは面白いものの、
抜本的改善にはなってないと感じる。
まあそもそも、
段階的導入と、抜本的改革は、
相反することなのかもしれない。
たとえばqwertyの;に-を入れると、
長音が楽になるけれど、
nを何回打てばいいんや問題や、
促音の2連打がめんどい問題は残る。
/やqに入れてもいいが、
それでもqwertyの運指は温存されてしまう。
つまり、付け焼き刃になると思う。
文字配列では抜本的な変更をしないかわりに、
親指による操作系を充実させよう、
たとえば親指エンター、モデファイア、BS、
などをやっているのが自作キーボード界隈だ。
これはこれで割り切ってて面白いと思う。
抜本的な変更をしないのは、
後方互換性というか、
「いつでも元に戻れる安心感」
みたいなことが重要なのだろうか。
軸足を残しとかないと、崖に足を伸ばせない的な。
三ヶ月あれば、
抜本的方式を常用できるし、
qwertyも併用できることが知られている。
そこまで我慢し切れるか、
そこまで勇気があるか、
そこまでqwertyに不満か、
などが関係してくるんだろう。
しかし俺のqwerty、衝撃的に遅いなー。
これじゃ使わなくなるのも当然よね。
しかも本格的にタイピングやる前は、
もっと遅かったという。
「Twitterやるくらいなら支障のない遅さ」として、
薙刀式のATC 60台が上がってたけど、
実用レベルってそんなものかもしれないな。
2024年10月18日
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