2024年10月20日

同じ空気を描いたもの(「ジョーカー フォリアドゥ」評2)

先日ネットで見た漫画。長いので注意。

「愚かで勤勉な私たちは、」
https://x.com/kogattuo/status/1845133864525758765

以下ネタバレで。


日本もアメリカも病んでんなあって話さ。

賢さがあったって世の中は変えられない、
と絶望する賢い人がいる。
世の中は賢さという秩序の外にあるようだ。

最後カメラ目線で誘うのも同じだね。
日本の闇はなんだかんだ言って、
「生かされたまま絶望する」感覚に近く、
アメリカは死んでおしまいの闇だろう。
どっちもどっちか。


リーはずっとハーレクインになることを期待させておきながら、
ついにならなかった。
ジョーカーはいない、となったからだ。
2代目ジョーカーが出てきた時、
彼女はハーレクインになるのかねえ。

誰もわかってくれた人はいないアメリカ。
ぬるい繋がりで牢獄に居続ける日本。
さてどっちが地獄だろうか。


フィクションとは、
現実を「このようにも見立てることができる」
という観点の提示だ。
真実かどうかはどうでもよく、
真実らしさこそがフィクションの味である。
posted by おおおかとしひこ at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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