https://m.youtube.com/watch?v=kTpJRv1ovsM
父と母の物語。
これを最初に入れた方が良かったのでは。
そして○年後…として映画の冒頭から始めればいけたのでは。
というのも母マリアンヌへの感情移入の問題だ。
現状、
誰にも感情移入できない物語になっている。
主役5人はすごいやつらなんだけど、
まだ我がことにはなれない。
僕はここにドラマが必要だったと考える。
大河ドラマでは追々追加されて、
感情移入に至るのかも知れないが、
少なくとも現状ではなにもない。
本来ならば主役のレッド、
スティーブ・アームストロング君に感情移入したいところだが、
ヒロインとのことを揶揄される程度で、
彼の私的な何かは見えてこない。
公的立場、三人の長兄であること、
5人のリーダーであること以外は、
物語を持っていない。
Aストーリー=公的なストーリー、
この場合侵略してきたボアザン星人を撃退すること、
具体的には2体のロボを撃退することは、
猛烈CGプロレス以外は面白くなく、
スティーブに行けええと感情が乗ることはない。
我々の感情が乗るのは、
コクピットの中のスティーブではなく、
目が光る鋼鉄の巨大ロボだ。
だからスティーブのBストーリー=私的ストーリーを、
僕らは知りたかった。
恋愛にするならば、
みんなに内緒でデートしててもよかったのでは。
これを知られると隊員内の感情に影響する、
たとえばNo.2のブルーがうるさい、
的な設定でも作っておくだけで、
スティーブへの我々の思い入れはだいぶ違うのでは。
No.5だから足首への被弾に、
スティーブは異常に敏感だとかね。
それだけで、ボルテスを私的に動かすのか、
公的に動かすかの葛藤が生まれる。
そのような、AとBの交錯があった方がよかったと思う。
人間ドラマが尺が長いのに薄いので、
そうした補完は必要だと考える。
さて、プリクエルだ。
この主役はマリアンヌだ。
まあちょっと話は薄いんだけど、
「アームストロング」という伏線回収に、
ちょっとゾクっと来たよね。
ちなみに原作ボルテスでの彼らの姓は剛。
ああ、ちゃんとそこを拾ったんだって感動した。
こんなちょっとしたドラマがあることで、
後半のマリアンヌの特攻は、
結構な悲劇になると思う。
これがない現状編集版では、
母親設定の博士が、
ただ息子たちを守っていきなり死んだだけになってるが、
このプリクエルがあれば、
父親とのラブストーリーもあるし、
そうか父は異星人なんだ、
それを知ったら彼らはどう思うだろう、
という僕らの想像もできるし、
アームストロング姓を名乗ることの誇りも出るし、
死をかけてまで息子たちを守りたかった思いが、
より伝わると思う。
理想は、スティーブに感情移入することだけど、
現状の何も感情移入がない状態よりは、
よほど我々の心が動いたのではないか。
今回日本編集版ということだけど、
この編集を仕切った人間の責任は重い。
合体をさっさと見せて、
巨人プロレスとVの字斬りさえあって、
あとは適当な人間ドラマ(唐突な母の死)さえあれば、
盛り上がるだろ、
という底の浅い興行に堕してしまっている。
もう少し丁寧に仕事をしてはどうか。
我々は人間の機微がわからぬ人ではない。
ただのロボットプロレスだけでなく、
マリアンヌの死も悲しみたい。
だから我々は戦わなければならない、
という戦争への思いも共有したい。
フィリピン人たちの熱い思いと同様、
我々も熱くなりたいのだ。
なのにこのプリクエルをなぜ入れなかった。
たしかに立ち上がりが17分遅れるのは致命的だけど、
ちょっと間を切って、後半のドラマのグダグダも切れば、
うまく収まる気がするけどなあ。
人間というのは複雑だ。
そしてその複雑な事情が理解できたら、
その人には幸せになってほしいと思うのが人間だ。
現状編集版はあまりにも表面を舐めて、
人間の複雑さを軽視したのではないか。
つまり、
日本版編集者(最終編集権者)は、
人間の理解が浅いんじゃないか。
もちろん、このプリクエルを入れたとしても、
興行が倍跳ねることはなさそうなので、
コスパを考えれば損切りなのかもしれない。
だけど、損切りなど考えない、
膨大なボルテス愛こそがこの作品の魅力なのだから、
そこは鼻血サービスをするべきだったと思う。
入場者全員のペーパークラフトサービスは嬉しかったけど、
そこに労力をかけるなら、
作品の質をあげてくれとすら思ったよ。
統括プロデューサーの仕切りが悪いな。
まず神輿の質でしょ。
2024年10月23日
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