雑談。
そもそもキーボード配列は10本の指で扱うものだけど、
言葉は10本指の信号として発達したわけではなく、
原初は音としての言葉だ。
ということは口の形のキーボードのほうがいいんじゃないか。
とても大事な概念は、一つの音だろう。
わ(吾)、め(目)、などがぱっと思いつく。
そして次に大事なものは二つの音の組み合わせだろう。
同じ音は縁語で結ばれて、
異なる概念は遠い音、遠い連接になったはず。
次に大事な概念は三音だろう。
同様に、近い概念は近い音、遠い概念は遠い音にして、
被りを避けただろう。
こうして出来上がった、
音と概念の対応の近さ/遠さは、
口の構造に依存しているはずであり、
指の構造に依存してはいないだろう。
音の言葉が書き言葉になったとしても、
10本指で書くことはなかったので、
右手の構造に準拠した書き方があったろう。
右手が書きやすい連接が近しい概念で、
書きづらい連接が遠い概念だろう。
(続け字のようなこと。
薙刀式はなるべくこのへんを再現したい)
10本の指とキーボードで言葉を書くなど、
言葉の歴史からしたら最近もいいところだ。
10本の良運指悪運指と、音の遠い近いは、
関係がない。
それを無理やり指の運動に写像するのが、
キー配列である。
うまいこと行くわけないよなあ、原理上。
構造上異なる原理のものを、
仲立ちしてうまく写像しなければならないわけだ。
どこかを強調して、
どこかを不便にするしかあるまい。
というわけで、
キー配列は、
良運指と悪運指を宿命的に背負い、
概念の近さ遠さと、運指の近さ遠さの、
一対一写像が不可能な関係にある。
つまりどこかで妥協しなければならないのだ。
ゆえに、
キー配列にはどこか不満が残る。
(QED)
雑談レベルだけど、
不満が残らないためには、
口の形のキーボードがいるんじゃないか。
しかしそれを扱うのは手指ではなく、
口操作だとすると、
そもそも音声入力が一番自然だろう。
だがしかし日本語には同音意義という、
明治の頃のバグが大量に現存してしまっている。
それを除くと多くの概念が消えるから、
切除は不可能だ。
やっぱ詰んでる。
というわけで、どこか不満が残る、
自称完璧な配列を使うしかないのだな。
薙刀式は今回のATCの試練を経て、
まあこれかなーというv16に固まりかかっている。
v15の「み」「め」を交換した、
実に最初に検討した版になりそうだ。
もうこれ以上やりようがなく、
そして少しの不満は残されたままだ。
これが完璧に解決することあんのかなー、
などと俯瞰して考えて、
キー配列の非完璧性について証明したくなったわけ。
まあ雑談だ。
2024年10月30日
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