短距離と長距離を分けるのは、
筋肉運動より循環器系かもしれない。
スプリントは格闘技にたとえれば無呼吸連打で、
マラソンは寝技での、呼吸しながら延々続く感じか。
天キーで変換や確定のタイミングに関して、
もりやんさんと語ってびっくりしたのだが、
「何文字くらい無呼吸で書くの?」
という質問に対して、
「多くて40字(変換後)」
という答えであった。
まじか。2行(原稿用紙相当)も無呼吸で書くんだ。
その分またたまるまで呼吸して考えて、
また無呼吸連打するらしい。
煉獄(「喧嘩商売」)は無限連打だけど、
あんな感じか。
で、呼吸(か文)の限界で止まると。
僕はせいぜい5〜10字?
とくに決まってない。
なにせ僕は日本語で考えてなくて、
なにやらモワモワしたもので思考していて、
「それを日本語で表すとするとこう」
という風にひり出している感じだ。
ああ、日本語で言えばこうだな、
じゃあ次は日本語でこう続けるべきだ、
と判断して次が引き出されていく感じ。
それを無呼吸連打ではなく、
ダラダラ、ズルズルと休みなく続けていく。
(もちろん立ち止まって考えることもある)
だから、「さっさと日本語になって俺にリアクションをくれ」
と思うので、単文節変換が多い。
ひらがなでは俺の思考を日本語化したものではないから、
さっさと漢字変換して、
完全な日本語の形として姿を表せ、
そこを足場にして次を書くから、
と考えているようだ。
なので、今ある部分が未変換だと耐えられなくて、
すぐに変換確定したくなる。
薙刀式の実戦動画を見ればわかるけど、
結構こまめに変換かけてると思うんだよな。
そしてそれをさっさと確定したいので、
次を打つ、句読点確定、約物確定、エンター、
などいろんな方法で紙に定着させているんだな。
なぜならそれを足場にしたいから。
これは、彫刻とか粘土細工とか、
山登りに近い気がする。
一方無呼吸連打方式は、
小包を走って運搬する感覚だろうか。
一括変換に近いことをやってると思う。
IMEの性能でどこかで区切ることはあれ、
気持ちとしては40字一括変換ができるならそうしてよ、
と思っていると予想する。
僕は数文字単位で確定したいのと、
対照的な気がした。
おそらくこの身体感覚の対称性が、
打鍵姿勢や打鍵スタイルの対称性を、
決めているのではなかろうか。
頭の中の架空の出来事に対して、
傍の記者のように記録して、
まとまったら送信したい人と、
その人になりきってアドリブでつくりながら、
そのアドリブを記録して、
それありきで次のアドリブに進みたい人と。
そこに、呼吸の差があり、
身体の差があるような気がする。
武術においても、
腹式呼吸、逆腹式呼吸、
胸式呼吸、逆転胸式呼吸などを、
場面に応じて使い分けるものだ。
そこは流派によって考え方があって、
それによって身体の使い方が違う。
表面上に現れる運動は、
呼吸に支配されているので、
呼吸こそ鍵であるなんてモノの本にはあるが、
それもタイピングや物書きに、
通じそうな気がするなあ。
僕はダンスも楽器もやらないが、
やってる人の意見は聞きたいね。
そんな対称性があるのか、
あるとしたらどうパフォーマンスや考え方が違うのかとかね。
人間は呼吸しないと死ぬので、
どこかしらで呼吸している。
無呼吸連打は心拍数も上がりそうだな。
僕は低コストでダラダラと続けるタイプだ。
立技系にはあまりないが、八卦掌や御殿手や合気道が近いな、たぶん。
いずれも打撃系というより投げ立ち関節系だ。
というわけで僕は渋川剛気や白川先生を目指せばいいのか。
そもそも無呼吸連打って、qwertyローマ字的だな。
1カナあたり統計的平均で1.7打必要だ。
一方薙刀式は、
2キー同時、3キー同時、センターシフトを1アクションとして、
0.97アクションでよい。
(センターシフトを2打としても1.2、
全部を1打としても1.3。
ちなみにJISカナの「1カナ1打」は詭弁で、
濁音半濁音が2打必要なため、
シフトを数えなくても1.1、
全打数を数えれば1.2に落ちる。
4段と小指外を使い切ってこの効率の悪さだ)
この、
動作数のリズムと、
呼吸のリズムが合うべきなんだと思う。
2024年11月07日
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