Twitterから。大西配列改をやってる人。
> 配列改造は自転車と同じ。
> 乗りはじめはコケるけど、慣れれば意識せず乗れる。
> てなわけで、1ヶ月頑張って練習するぞ。
この精神ですよ。
なぜかというと、
「無意識に染み込ませる神経の運動記憶」だから。
配列を「脳に入れた記憶を引き出すこと」
だと思ってる人はここで間違う。
たとえば僕は秒間5カナだ。
あなたが先生だとして、
クラスの子の名前を秒間5人思い出せるかな?
出来るとしたらそれは記憶じゃなくて、
条件反射なはずだ。
もちろん4月の頃は頭で丸暗記するのだろうが、
そのうち条件反射になってて、
あいつは○○、こいつは○○、のように、
記憶領域を介在しないものになってゆく。
その反射の条件は、顔とか声だろうね。
顔と名前との結びつきが条件反射化する。
タイピングの場合は、
指の運動と文字の結びつきが条件反射化する。
カナならば秒5打、
ローマ字なら秒7〜8打打つには、
条件反射のスピードでないと無理だ。
だから、
「文字を浮かべた瞬間に、
指が条件反射で動く」訓練が必要だ。
持ってるものが落ちたら咄嗟に拾うとか、
熱いものに触れたら手を引っ込めるとか、
そういう速度で動かないと実用にはならない。
そしてそれは、
クラスの子の名前と違って延々と出てくる。
このブログは一記事2000字(変換後)程度だが、
2600カナ程度になるはずで、
少なくとも2600回の運動が必要になる。
操作系含めれば3000回くらい?
それを淡々と打てるのは、
頭がやってるんじゃなくて、
手指の神経が覚えてる、条件反射なんよね。
(しかも単発じゃなくてコンビネーションとして覚えている。
「として」「おぼえている」なんかを一筆で書く感じ)
自転車に乗るようなもの、
というのがちょうど良い距離感だろう。
最初はコケまくって痛い思いもするけど、
そのうちスーッと行くようになる感覚。
あとは無意識化して、
ペダルを漕ぐ順番とか、ハンドルの角度とかを、
一々気にしなくなる感じ。
タイピングは記憶じゃなくて運動なんだよ。
野球部入ったやつが、
ゴロを取って無意識にファーストに投げられる感じを、
マスターするんだよ。
頭で動いてるんじゃなくて、
体から動くあの感じさ。
で、野球部ほど難しくなくて、
自転車くらいかな、というのが配列だ。
だからタイピングは、文化部じゃなくて体育部だよ。
配列を考えるところまでは文化部だけど、
その実戦は体育部なんよね。
体育部というほど激しくないから、
手芸部に近いかもしれない。
新配列というと配列図が示されるから、
「こんなの覚えられるはずがない」
などと怯むんだけど、
ちょっと違うんよなあ。
格闘技の基本技を網羅して表に書くと、
配列図くらいにはなるでしょ。
そんな感じなんだよなあ。
タイピングは記憶じゃなくて運動。
それさえわかれば、
練習は繰り返しが大事で、
毎日コツコツやることで、
間違っても適当に進めば、
そのうちなんとかなってきて、
数日ではマスターできなくて、
1〜2週間くらいで動けるようになってきて、
一ヶ月もすれば形にはなってる、
みたいなことが、
理解できると思う。
一人でやってるとその辺がわからなくなって、
不安になってしまうのだろう。
一回やったことある人は、
「今この辺の段階だな」ってわかるんだけど、
そうじゃない人は不安よね。
あと先日の大西さんの動画のコメントにもあったんだけど、
「qwertyを忘れてしまわないですか?」
という不安の声を聞く。
元野球部がサッカー部に入った後、
野球のボールが転がってきても、
ゴロを捌いてファーストに投げるくらいはできるでしょ。
元水泳部がおっちゃんおばちゃんになっても、
水着でプールに入れば泳げるでしょ。
全盛期ほどの動きじゃなくても、
全くできなくなることはないと思う。
運動神経の性質よね。動けば思い出す。
脳の記憶だと、0になることもあるかもだけど。
専門用語では宣言記憶と手続き記憶というんだけど、
それを使わずに身近な例で示してみた。
配列図は宣言記憶、タイピング運動は手続き記憶に属する。
だから新配列のタイピングを、
配列図で示すことは、
本来間違っている。
しかし運動の表をつくらないと人に「これです」ってメニューを示せなくて、
だから新配列はいつも配列図を示している。矛盾だ。
あれは、正拳突き、キック、タックル、テイクダウン、
みたいな技表にすぎない。
一個一個覚えてたって使えることにはならない。
配列は使うものなので、
そこに自転車のような無意識化が必要なのだ。
こんなことをうまく布教していきたい。
タイピングは記憶じゃなくて、運動です。
2024年11月09日
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