カナ系新配列の裏面(シフト面)は、
表面(単打面)のキーと表裏の関係とか、
ペアの関係になってはいない。
一見ランダムペアに見える。
でもランダムに置かれてるわけじゃない。
理由があってその位置だったりする。
どんな理由があるのか。
一番大きな理由は、
「他のキーとの連接のためにそこに置く」だ。
たとえば薙刀式の「も」はK裏である。
K表は「い」。
「い」と「も」に何かしらの関係はない。
一見ランダムペアだ。
そこだけ見てたらそうだ。
だが、他との関係性がある。
たとえば、
K裏→L表が「もう」
K裏→J裏が「もの」
だったりする。
つまり、K裏は、
「う」「の」につながるKL、KJアルペジオ位置、
ということになる。
カナの設計理論で、
「頻度順にいい位置に置く」
はよく知られたものであるが、
それ以外にも設計条件はたくさんある。
薙刀式、新下駄、飛鳥配列に関しては、
他のカナとの繋がりのいい位置にそのカナを置く、
片手アルペジオを利用した配置のために、
それがそこにあることが多い。
左右交互打鍵系は、
多くはランダムペアになってるかもしれない。
裏表を足した頻度が、なだらかな山をつくるような調整だ。
アルペジオに関しては、
回路設計みたいなことだ。
言葉、カナ、運指経路、
これらの莫大な組み合わせについて、
妥当なものを見つけだすのが、
カナ並べといってもよいと思う。
色んなカナ設計の話を見てると、
○○○という言葉の指の流れはいいのだが、
○○○の流れが悪くなった、
的なのはしょっちゅう出てくる。
これは、その連接経路をあれこれやってる途中なのだ。
これは、
先に置かれたカナありきの話だ。
先に置かれたカナはメジャーカナの場合が多いが、
もっというと「配列の骨格部分」だろう。
骨格の部分を先に作って、
残りのカナは、連接がいいようにぶら下げていくわけだ。
だから、K裏は、
表の「い」とペアになるカナを選んだわけではなく、
周囲の「う」「の」や「お」と連接した時に、
運指の繋がりと言葉のつながりがうまくいくように、
置かれたわけ。
薙刀式の場合は2面しかないが、
新下駄や飛鳥は3面あって、
複雑な指の繋がりを作ることができたろう。
その織物魔術のような配置は、
その配列使いしか解読できなさそう。
カナ配列に慣れてくると、
「ああ、ここに○のカナがある理由は、
○と○とで○○の言葉を作りやすくするためだな」
なんてのが読み取れるようになってくる。
その目がない人は、
「Aの裏にBがあるということは、
これらの間に論理関係があるはず。
いや、ないって?じゃあランダムやんか」
と勘違いするのだろう。
キー一個の表と裏の関係性ではなく、
他のキーとの関係性で、
指の形が良くなるようにその位置にいる。
つまり、
複数のキー間のカナネットワークが編み込まれているのが、
カナ配列なのだ。
なので配列図を見ながら、
近くのカナと連接して言葉(の一部)を作れる配列は、
そのように考え抜かれている。
薙刀式の右手で言えば、
ある、ない、する
られ、ょう、ょく
いく、くる、たい、なれ、たれ、なら、たら、
もの、もう、おもう、なる、たる、
える、やる、ぶん、ゅう、ゅつ、ゅく、
さい、さつ、のよ、
など、ありとあらゆる八方にアルペジオの糸が張り巡らされている。
この八方の運指に対応するために、
ドームキーキャップが便利なのよね。
なので、
薙刀式をマスターする時は、
表裏の位置を覚える方法を推奨しない。
二連接、三連接の言葉の運指で覚えた方がよい。
その方が言葉の流れとして手が覚える。
「も」の位置は覚えてないが、
「もの」は覚えてる、という現象が生じる。
さて、
このようなカナのネットワークは、
ネットワークとして整理されたものの、
全体の構造としては数学的な美しい形は取らないと思う。
左右対称とか上下対称とか、
人間の体の構造に従ってるとか。
なぜなら、言語が数学的構造じゃないから、
だと僕は考えている。
表裏のものが数学的論理的美しさが揃うようには、
日本語はできていない。
ネットワークが対称性をもったり、
粒が揃ったようになるようには、
日本語はできていない。
自然言語だからだ。
人工言語ならば、
ひょっとして綺麗な法則性に貫かれているかもしれないし、
物理学の方程式ならば、
世界を対称性のあるように描けるかもしれないが、
自然言語は、
その姿がカオスである、というのが正体ではなかろうか。
つまり形状で言えばグロテスクなのである。
かつてエルゴノミックな3Dキーボードを探求している時、
人間の手は規則的に並んでいない、
グロテスクな形なのだから、
物理形状もグロテスクになるべきだと考えていた。
自然言語も、同様ではなかろうか?
だからほんとうの?キーボードは、
スイッチの数や大きさやピッチや角度や個数もバラバラで、
グロテスクな形が最適な可能性もある。
(口蓋の形をしてるキーボードとかね)
ところがキーボードというのは、
たとえば格子配列、3段、
のように幾何学的に整理されたものだ。
その方が「整理できている」と感じるからだと思う。
なので、
グロテスクな自然言語を、
幾何学形状に整理し直したものが、
キー配列だと考えられる。
ローマ字の場合は、子音×母音という整理をした。
だから一見マトリックス的に見える。
でも子音の数>母音の数だし、
キーボード的な幾何学的に整理できるわけではない。
5母音に合わせて五角形のキーボードを作ればどうか?
とかつて真剣に考えたことはあるが、
子音どうしよ、と悩んで放置。笑
清音9母音にしたがって、9角形×5角形みたいな幾何学形状を、
発明すればよかったのか?
10子音×10母音みたいな、キリのいい自然言語はない、
ということだ。
一方カナの場合は、
連接という小さな蛇が、
幾何学形状の中に刻んで埋め込まれているような、
そんなイメージだ。
だからフレーズ単位で手の動きを整理し直したものが、
カナ系新配列だと僕は考える。
そしてそれは、
そもそも言語が幾何学状ではないので、
グロテスクな形になるのだと思う。
日本語の場合とくに、和語、漢語、外来語が、
カオスに入り混じってるしね。
なので、論理的ペアリングが成立するのは、
一部だけじゃないかな。
記号ペアリングは、:;、'"、<>、()、.,、?!などは可能だけど、
@~|/\^とか、
全然うまくいかないもんね。
ちなみに僕のマップでは、
上のやつは/を除いて左下にごちゃっと入れてある。
そういうゴミ箱みたいなエリアが必ず生まれると思う。
数字段の記号を全部整理したくても、
$とか#とか孤立記号よな。
自然言語とはそんなもの、
というのが僕の考えで、
だから「位置」で整理しようと静的に考えるのは無理だと思った。
ので、動的な「流れ」で整理しているのが、
今の薙刀式であり、編集モードだ。
もちろん、流れの中でも上のゴミみたいなエリアが生じて、
川の流れの中の淀み、みたいな場所になってたりする。
そういうのは端っこ(とくに左)に寄せて、
流体として機能するのを真ん中に集めてるのが、
薙刀式の配置の特徴だね。
カナ系新配列は、若干の考えの差はあれど、
大きな考え方としてはこうだと思われる。
だから、行単位でカナをまとめた、
静的な「位置」で整理したJISカナは、
カナ系新配列からは馬鹿にされて嫌われる。
「流れ」がひとつもないからね。
位置で整理したものは、言葉を点にしがち。
親指シフトがそうなんだけど、
親指シフトの打鍵はスタッカートが入った日本語みたいな打鍵になる。
アルペジオや左右交互の組み合わせの新配列は、
点による整理から、線による整理に、
組み替えたものだと考えられる。
もりやんさん:
> 整理された概念に基づくシステムを実測によって支配していきたいと思うわけですよ。
なるほど、
相変わらず感覚は真逆のようなので、
そちらの世界線の先がうまくいくかどうか、
楽しみだ。
実用的には、「俺の指は幾何学的数学的に美しく動かない」
がまずあると思ったんよね。
全然理論値が出ない、
このグロテスクな指の機能に合わせるしかないなと。
思考、言語、漢字変換、物理キーボード、指。
これらをどのように整理するかの、
基準すらまだ分ってないが、
真逆の流派があるらしいことはわかってきた。
2024年11月10日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック