2025年02月13日

思ったより速く行動させることができる

フィクションの人物は、
我々よりも行動力がある。
ぐだぐだ考えている時間を全部カットされているのもある。


我々が好きな子に告白しようとするなら、
少し時間がかかるに違いない。
相手の気持ちを考えたり、
今行けるのか、タイミングを見たり、
まだその時ではないと思ったり。

ラブコメではそんなヤキモキを引き延ばすこともあるだろう。
でもそこをすっ飛ばすことも、
フィクションではできる。
あ、好き、告白、という風に、
すぐに話を進めてもよいのだ。

つまり、作者がなかなか告白できない人物だとしても、
物語の人物ならばさっさと告白してうまく行くこともあるということだ。

もちろん、リアリティがないとだめだ。
作者の告白経験しかないと、
告白の成功は作者の経験したとおりしか書けない。

そうではなくて、
世の中の沢山の告白の成功例から、
リアリティを判断すればいいだけのことである。
そのような取材をすればいいだけの話なのだ。

そうじゃないと、人を殺したことがないから殺人を書けない、
みたいなことになってしまう。
たくさん体験することは書き手を豊かにするが、
すべてを体験している必要はない。
想像で補ったり、似たことで類推したり、
そこに至るまでの気持ちをリアルにつくることはできる。


自分はこういう体験しかしていない。
だが世の中に見聞きするものは、
もっとバリエーションが多いだろう。
で、本題にもどると、
とくに速攻でうまく行く人がたくさんいる。
その例を学ぶとよい。

フィクションの場合、
思い悩む暇すらカットされている。
「窓際で思い悩む」のはカットしてよいのであった。

だから好きになったシーンの直後に、
告白するシーンを書いても、
ストーリー的になんら問題ないわけ。
間がカットされてることくらい、
観客は理解する。
それにしても速いな、でもそれくらい速い場合もあるものな、
と思えれば、リアリティの範疇に収まるだろう。


分かりやすく告白の例を出したが、
なんでもいいんだよ。
時間がかかりそうなものを、
次のシーンにカットしてつないだってよい。

手術で入院の次に、
退院してもよいし、
ゴジラが現れた次のシーンに、
退治されていてもよい。
試合が始まったシーンから、
終了して負けたシーンへつないでもよい。
計画を思いついたら準備を飛ばして実行シーンを書いてもよいのだ。

そこを描くことがメインではなくて、
その結果から起こることが重要な場合、
間をさっさとすっ飛ばしても、
何も問題はない。
そこでテンポを上げることが可能になる。

そうして、間をぐだぐだやって、
話が何も進行しないならば、
結果のシーンへさっさと飛ばしてもいいんだよね。


「自分がそうするようにしか書けない」なんて、
書き手として未熟な証拠だ。
世の中のフィクションのテンポは、
もっと全然早い。

ちなみに、
自分の中の(ぐずぐずの)速度で書いてもよい。
リライトでバッサリカットできるよ。
「○日後」「○ヶ月後」「○年後」
という便利な記法があるではないか。
posted by おおおかとしひこ at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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