この記事はキーボードAdvent Calender 2024の記事です。
昨日はぎーくらびっとさんの「Futabaの作成録」、
明日はjupemaraさんの「今作ってるキーボード ( ケース ) について」です。
その机で打ってていいの?
その腕の位置でいいの?
その手首の位置でいいの?
自作キーボードを始めて以来、
ずっとこのことを考えてきた。
長文を打って疲れている。
その疲れをエルゴノミクスなるものの力で、
何とかしたいというのが動機だった。
先に結論だけ書いておく。
2022年に書いた記事からさらに進んで、
以下のようなモバイル型アームレストをつくった。
以下は、それまでの5年くらいやってきた研究の俯瞰だ。
キーボードエルゴノミクスには、色んなものがある。
体系的なものはなく、TIPSの集合体のようなものだと思う。
いわく、
・左右分割は肩甲骨が開くから良い
・テントは前腕の内旋を防止できるから良い
・チルトはキーボードを打ちやすくするから良い
・いや、逆チルトのほうが手首の反りを防げるから良い
・軽いスイッチのほうが疲れない
・ロウスタッガードは左右非対称の歪みを蓄積するので対称が良い
・コラムスタッガードは指の長さに合っているから良い
・オーソリニアは最短距離だから良い
などなど。
それぞれに理屈はあり、合っている部分もあると思う。
だけど僕は、
それらに欠けている視点があると思っている。
それは「人間は液体である」という考え方だ。
「猫は液体である」というのは有名なミームだ。
猫は色んな姿勢をとることができて、
とても柔軟である。
人間よりも柔軟だろう。
さて、関節が猫より硬い人間が液体だろうか?
逆に問おう。
「同じ姿勢で居続けることが正解か?」と。
アメリカのエルゴノミクスの歴史を紐解くと、
第二次大戦時の戦闘機の椅子で、はじめて認知されたらしい。
当時は寝っ転がって操縦する仕組みで、
飛び立って帰って来たら操縦者はへとへとだったろう。
ヘルニアにもなったはずだ。
座って操縦するシステムになったとしても、
なお狭く硬い椅子に座らされて出撃させられ、
戦闘機乗りは大変な苦労をした。
そこで、ゲーミング椅子のような戦闘機椅子が生まれたわけだ。
自然な運転姿勢を調べ、
無理のない姿勢をとらせること。
それが姿勢エルゴノミクスの最初であり、
ゴールのような気すらする。
それはまちがいだ。
というか、まだエルゴノミクスの途中である、
と僕は思う。
なぜなら、「寝返りを打つ」ことが、
考慮に入っていないからである。
正座を2時間できる人はいるまい。
自然体を2時間できる人もいるまい。
校長先生の話を休めの姿勢で2時間聞ける人もいるまい。
人は、同じ姿勢を長時間続けることはできない。
骨と関節だけの人体モデルが正しいのか?
それは従来のエルゴノミクスだ。
自然な姿勢、重心の位置やら筋力やらを考えて、
「たったひとつの平均的自然姿勢」に収束することが、
従来のエルゴノミクスだ。
だけど「同じ姿勢を続けても疲労する」ことを、
僕らは経験的に知っているはずだ。
僕は運転はしないので分からないが、
映画館で2時間同じ姿勢では見ていないことは知っている。
座り直したり、腰の左右重心を変えたりする。
休めの姿勢で朝礼に出ても、足の重心を変えたりする。
正座ではもちろんだ。そうしないとしびれる。
それは、人間は筋肉を使って、骨や関節を固定しているからだ。
ワイヤーで骨を固定するようなものだ。
ワイヤーの張力を出し続けることが、疲労するのである。
だから、張力を出すワイヤーを、時間がたつと変える。
それが姿勢的な寝返りだ。
何分、人は同じ姿勢を続けられるのだろう?
統計を取ったわけじゃないのでわからない。
1時間まったく同じではないと思う。
15分かな。3分かな。
人によるかもしれない。
つまり、人は液体である。
同じ姿勢を続けずに、
ぐるぐると重心を変えたり、
動き回る生き物なのだ。
それは、打鍵姿勢というひとつの究極への収束を意味せず、
「無数の姿勢を適宜動き続ける」ことを前提とするべきじゃないか?
ということだ。
人間は猫ほど柔らかくないが、
建築物より柔らかいのである。
人体は止まらない。止まった人体は死体だけだ。
従来のエルゴノミクスは、
死体の構造力学しかやっていない。
左右分割キーボードの問題に、
「左右をどの位置や角度に置き、
パームレストをどの位置や角度に置くべきか?」がある。
つまり、
「一意にそれを決めることが難しい」という問題だ。
昨日はこの距離と開き方とチルト角がよかったと思うのに、
今日は違う気がする、正解が分からない、
というやつだね。
これは、「そもそも正解がひとつに収束してないから」
が答えじゃないかと僕は考えている。
昨日の疲労によって疲れていない筋肉を今日は使おうと、
無意識に体が動き、
結果昨日とは異なるセッティングに体が求めるのだと僕は考えている。
疲労とは、昨日の分が寝ただけでは完全にリセットされてないこと、
ではないかと。
「毎日違うキーボードを使う」という自キのお楽しみがある。
これも、違うキーボードを使うことで、
同じ運動や姿勢をやめて、分散しようとする本能のなせる業では?
さて、ようやく僕の打鍵姿勢の話だ。
「人間は液体である」という考えに至ったのは、
かつて、
「人間は個体であり、理想の打鍵姿勢があるのではないか」
と考えていて、
それで試行錯誤しても一向によいものが出来ない、
という失敗実験の結果からだ。
なので、僕の失敗の歴史を、色々見ていこう。
ここまでやれば、そりゃそうか、になると思う。
最初に考えたのは、
ピアノの姿勢である。
鍵盤の先輩、ピアノの姿勢を真似すれば、
一番疲れない打鍵姿勢になるのでは?という発想だ。
打鍵疲れしているピアニストはいないではないか。
(だけど結論から言うと、疲れているピアニストはいない、
というのは生存者バイアスだ。
疲れたピアニストは引退したのである。
ピアニストが疲れていないのではなく、
疲れない人しかピアニストになれないのだ)
ピアニストの打鍵姿勢はこのようである。
(島村楽器HPより引用)
前腕を水平に保つ。
ピアノのキーの高さは決まっているから、
身体の大きさによって、椅子の座面を変えるそうだ。
ピアノ専用椅子とは、高さの変えられる椅子のことらしい。
これ、家にほしいかも。笑
前腕を水平に保てば疲れないという知見をもらった僕は、
しかしキーボードではできないことに気づく。
ふつうの机が高すぎるのだ。
JISの机の高さの基準は事務机である。
文字を書く高さは、キーボードを打つための腕の水平高さよりもだいぶ高い。
タイプライター専用机を見てもそれは感じた。
腕を水平にするような、かなり低い机を使っている。
なので、
僕は普通の机から吊り下げて、
低い机をつくれるギアをつくり、
「キーボード空中庭園バビロン」と名付けた。
これならばキーボードを理想の低さに出来て、
前腕を水平にできるぞ、と。
だがこれは簡単に挫折する。
パームレストやアームレストのような腕を置く仕組みがないので、
腕を吊り続けることに疲れるのだ。
ピアニストはたしかに腕を吊り続けるが、
我々のように数時間打ちっぱなしということもないだろう。
なので、水平面を大きくとれるように、
板を挟むことで手の置き場所を確保する。
その分丈夫なものを作る。
持ち運びの板が重くて嫌になったので板をちいさくしたら、
やっぱり手首を乗せられないのはしんどかった。
この方向性での完成形がこちら。
軽量化を狙いすぎて、上の関節部がバキッと折れたので現役引退。
膝上システムも研究した。
膝の上に板のようなものを置き、キーボードを置けば、
理想の打鍵姿勢になるんじゃね?ってことだ。
この方向は挫折した。
理由はひとつ。
「同じ姿勢を取り続けることが疲れる」ことに気づいたのだ。
テントしたり、チルトしたり、
どんな形のものをつくっても、
同じ姿勢にし続けることがすでに疲れるのだ。
20分くらいは理想なんだけど、
そのうち腰を動かしたり、足を組んだりしたくなる。
有線キーボードを使っていたから、
足を組んだりしたらコードも邪魔。
トイレに行くときも大変。
腰がどんどん浅くなってきたら板の角度もずれていく。
(座った姿勢では太ももは水平ではなく、
緩やかな下り坂を描いている。
椅子の高さや座り方でこの角度が変わる。
チルト角が毎度変わるキーボードは使いにくかった)
これらの失敗から、
同じ姿勢にいないようなエルゴノミクスを、
模索することになった。
偶然バビロンを改良して、
斜めにするとよいという発見をした。
これは今でも悪くない発明だと思っている。
手首をつけられて、長い時間打鍵できる。
姿勢は適宜自由に変えられるわけ。
これを「斜めバビロン」と名付けて、
一時はエンドゲームかと思った。
しかし、
両手の重さがクランプの締め力より大きくて、
どうにも安定しない。
1時間が安定の限界かな。
手の重みが力点、クランプが支点として、大きな回転力がかかる。
ゴムシートとモノの間を止めている両面テープが、
横滑りの力でゆっくりと剥がれていく。
ゴムシートなしだとガタつく。
あと最初はいいんだけど、
腰がどんどん後傾してって、腰に悪そうにも思う。
机での打鍵でよいのでは、と戻ってきた。
左右分割を自由なところに移動させながら、
負荷分散するのが理にかなっている気もする。
ただ腕を吊ってる重ささえ楽になれば良いのでは、と考えた。
成人の腕の重さは4〜6キロ。
少なくとも前腕半分の重さを支えるアームレストがあれば良い。
ということで、
「机からアームレストが生えてくる」にたどりつく。
そもそもアームレスト付きの椅子を買え、
という突っ込みが聞こえてきそうだが、
僕はノマドスタイルで、
スタバやカフェやファストフードをうろうろしながら執筆する。
「どこの机と椅子の組合せでもエルゴノミクス」
というのが究極の目標なのだ。
色々やってみた結果、
水平よりも斜めに出ているアームレストがいいんじゃないかと思った。
現実の机が理想より高いのであるから、
そこに水平な板を持ってきても、腕を無理やりに上げるだけでは、と。
斜めバビロンがよかったのは、
ちょうどいい角度で前腕が斜めに上がって、
高い机に接続するからでは?と。
これは失敗作。腕の重さのトルクにクランプが耐えられない。
たまたま、これの板を外して3Dプリント部に手を置いたら、
いいじゃん、と思った。
前腕の重心さえ乗ってればいいんだから、
前腕の1/2程度の長さが乗ればいいんじゃない?と。
二重に角度がついているのは、
「いろいろな方向に腕を乗せるため」だ。
色々な姿勢で使うことが前提だから、
ひとつの角度に固定しないような形がよかったのだ。
(あとで思ったのだが、もっと曲線の集合体でもよかったかも知れない)
カフェでこれを使うには勇気がいる
(原状復帰すれば問題あるまい)が、
会社や共同デスクで使う分には全然行けるっしょ。
左右の距離もクランプなので適当に変えられる。
腕の乗せる左右前後の角度も変えて良い。
左右分割キーボードの距離、角度、
テーブルからどれだけ奥に置くか、
手首をつけるのか浮かせるのか、
椅子の位置、高さ、座り方。
机のへりに前腕をつけて微妙に浮かせるのか。
パームレストを使うのか使わないのか。
足は組んでもいいのか、
半胡座にしてもいいのか、
足先をつけるのか、ベタ足にするのか、
腰は安定させて骨盤を立てるのか、
エンジニア座りのようにどんどん前に出て後傾するのか。
肩を前に出すのか、肩甲骨をひきしめるのか。
それは「適宜変える」のである。
それに適当な形がこれだ。
これなら肘と肩を緩めながら打てる。
ということは、腕全体が液体っぽくなる。
これまでの打鍵姿勢は、手首から肩から肩甲骨までを、
固定しようとしていたのだ。
おりしも、
僕のキーボードは、「ドームキーキャップ」という、
球型のキーキャップが装着してある。
ひとつひとつがコンベックスで、
位置関係が球面の一部になっているものだ。
これは、「どんな方向からでも撫で打ちできる」
というオールコンベックスの考え方と、
「指は丸いものをつかむように、丸く動く」
というものの、ふたつの思想が重なっているものである。
手と指が丸く動き、
姿勢がひとつに定まらず、
適宜距離や角度を変えていく。
この自在の姿勢こそが、
真のエルゴノミクスでは? ということだ。
「一つの姿勢に追い込むこと」がエルゴノミクスだろうか?
その姿勢に固定することで疲れさせているのでは?
人は液体である。
建築物よりも猫に近い。
もともと、薙刀式という、アルペジオ運指が中心の、
点を連続させるよりも線で繋いでいくカナ配列を使っている。
キーたちを線でつなぐような指の動きをするには、
コンベックスかつドーム型のキーキャップが都合がよい。
丸く動くキー配列、
丸く動くためのキーキャップ、
ひとつの姿勢に居つかないアームレスト。
疲れる前に姿勢が変わっていく。
武術の理想の「流水」の完成では?
と考えている。
エルゴノミクスに正解があるのかな?
ひとつの究極の姿勢ってあるのかな?
僕はないと思う。
あると考える人は、また別の結論にたどり着くかもしれない。
ぜひ究極の一つの姿勢を見つけてください。
僕はそれまでごろごろと寝返りを打ちながら、
液体として過ごすことにするよ。
エルゴノミクスの語源は、
ergon(労働)+nomos(自然の法則)
なんだから、自然な労働形態のことよね。
自然ってなんだろうね。その答えはまだ出ていない。
なおこのアームレスト、
アームバビロンと名付けましたが、
そこそこ体積があるため、
3Dプリントで原価3.5万円(!)なので頒布は考えていません。
ただ、4万円でも譲ってくれという方が天キーにいたので、
ここにコメントが一つでも入ったら、
DMMで3.8万円で売ります。(税別)
(ここにたどり着く試作ぶんなんてどうせ儲からないので、
儲けはおいしいランチ分とします)
プリント品に耐水ペーパー、塩ビシート+両面テープ、
蜜蝋などで仕上げる、半完成品です。
この記事は、
MiniAxe+TecseeRAW(split designs spring 30g)+ドームキーキャップ
+アームバビロン
+カナ配列薙刀式
と、
布団の中で寝っ転がりながらiPhoneのフリックで、
書きました。
2024年12月15日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック