そのように考えるのがフィクションだ。
現実で、必然的に人生が進むことがあるだろうか。
あんまりないんだよなあ。
仕事って大体紆余曲折だ。
予想もしない波にあおられて、
大体変なところに行きつく。
反省会もなく、次の波がやってくる。
この繰り返しが多いよね。
恋人ができるかできないかは必然じゃないよね。
偶然出会い、偶然関係が進む。
どうにかこうにかしたくてもうまく行かないときもあるし、
するするとなぜかうまく行くときもある。
そんな世の中を見ているからこそ、
人生は必然だと思いたい願望が、
人間にはあるんじゃないかと思う。
実はこれはこうであったのだ、
こういうことでこうだったのだ、
こういうことだとしたら、こうなるだろう、
な?こうなったろ?
ということが、人は好きなんじゃないかと思う。
つまり、人間には「因果関係を考えると快感である」という本能があると思う。
科学はそうやって発展したし、
進歩はそうやって起こった。
パズル好きな人は、その遺伝子が興奮するように動いていると思う。
人生はなんでもかんでも因果関係で示せるわけではない。
だからこそ、
人生を因果関係だけで示せるようにしたい。
それが、フィクションの物語じゃないかな、
と時々思う。
つまり、物語とは、
「人生を説明できるものにしたいという欲望をかなえるもの」
じゃないか、
ということだ。
運命という言葉がある。
一見偶然で進んでいるものを、
実は必然だったのだ、と説明する。
ロマンという言葉がある。
これは物語中では、叶うことになっている。
それは偶然ではなく、努力による結果である、
ということになる。
運命やロマンは、フィクションでしか出てこない。
もっとも、現実でもたまにあって、
そこに何かを感じることはある。
それは、偶然の中から必然を見つける遺伝子が興奮しているのかもしれない。
宿命のライバルとか好きでしょ。
それは必然的な勝利だったのだ、とか好きでしょ。
(「ミリオネア」のラストはまさにそれ)
運命的な出会いとか、
運命的な再会とか、好きでしょ。
激動の時代に何度も出会うロマンとか好きでしょ。
別々の方向をむいているランダムなものが、
一瞬そろうのが、多分好きなんだよ。
その瞬間に、理解できるものになるからね。
そしてそれは今偶然そろっただけじゃなくて、
前々から決められた必然だったのだ、
となると、因果関係が生じる。
そのことが、人間は好きなんじゃないかと思う。
二人はつきあうことになった。
しかし一方だけが好きだったのではなく、
実はお互い前から気になっていたのだ、
となるのは、
必然を作りたいからだよね。
人間は、世界が偶然だけで動いているのに耐えられない。
そこに必然や因果関係を見出すと、
腑に落ちる(快感を感じる)生き物なのだ。
そんな風にして、
世界をとらえて、
必然をつくっていこう。
あまりにも嘘くさい必然は無理があるので、
無理なく理解できる必然である必要がある。
前世ものが流行ったときがある。
今生きている我々の人間関係は、
前世での宿題をこなしているのだ、
と理解すると、
すべての偶然が理解できる、
という考え方だ。
これも、そういう因果関係で、世界を理解しようとするんだよね。
あらゆることは因果関係で説明できる。
そのように世界を作り直すことが、
物語であるかもしれない。
(だから、科学や宗教は、物語の一部であるともいえる。
物語は宗教と分離し、科学と分離したともいえる)
だから、
あそこ変、とか、あそこは無理がある、
とか、因果関係が破綻していることに、
観客は敏感で、指摘してくるのだ。
因果関係で世界を理解したいのに、
そこにほころびがあると、
信頼関係が崩れるからだね。
2025年03月06日
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