安岡孝一、素子「キーボード配列QWERTYの謎」を読み終えた。
基本的には、
「QWERTYにまつわる都市伝説を、棄却するための事実を集めた本」
という感じの方針であった。
でも僕が知りたいのは、
効率のよくないqwertyがどうやって趨勢となっていったか、
という点だ。
まずこの本による、
qwertyの都市伝説の否定を見ておこう。
「qwertyはわざと打ちにくくして、
アームバーが絡みにくく設計してある」
簡単な反論はすぐに出来て、
qwertyのあとにアームバーができたからだ。
これはqwertyを議論するときに必ず出てくる説だが、
元をたどるとDvorak博士の説に行きつくらしい。
Dvorak説が初出なのかは怪しく、その時すでにあった俗説かもしれないが、
Dvorakがやったことは、
「アルファベットを4つの組に分けて、
隣り合わないようにアームバーに分配した」という説だ。
そういわれれば「そういうものか」となるが、
安岡の反論は明確で、
連接頻度2番目のERないしREが、
隣り合っていることを証拠としている。
だけど、タイプライターの構造をよく知らない、
連接頻度についても知らない人たちが、
その説に感化され、広まっていったのだろう、
と推測している。
また、
この「4つに分けた」というところがDvorakのオリジナルデマであり、
それが日本にも紹介されて広まった経緯も、
ある程度は追いかけているようだ。
先日のATCのコメントや、大西さんの動画でも、
たくさんそのようなエセ識者がしたり顔でコメントしているが、
ソースを出せ、と言いたいねえ。
雑学などがソースだと、
その雑学が都市伝説をもとにしているから、
というのが、1890年から繰り返されているのだから。
聞いたことがある……知っているのか、雷電? 出典民名書房になるよな。
というわけで、アームバーが絡むから、
をタイプライターの歴史から紐解いて否定しているのは、
なかなかの歴史大作だった。
さて。ようやく本題。
僕の興味であるところの、
「qwertyがデッドロックした理由」について。
1 タイプライターでデッドロックした経緯
2 電信タイプライター(テレタイプ)でデッドロックした経緯
3 Dvorak配列が否定されて、qwertyにデッドロックした経緯
の三点が興味深かった。
1 タイプライターでデッドロックした経緯
前記事でも取り上げたが、qwertyだから固定したのではなく、
たまたま「シフトが使える、つまり大文字と小文字を使えるタイプライターが、
qwertyだったから」というのが真相のようだ。
qwertyが合理的で、人気だったからではない。
別のヒット理由があって、それについてきたおまけが、
のちにスタンダード化しているのだな。
なんという愚かさか。
そしてそののち、
いろいろな配列は各メーカーによって提案されたものの、
トラストを結んだことで、
もっともメジャーだったqwertyに統一されたに過ぎない。
この時点で配列の自由化の可能性が消えた。
2 電信タイプライター(テレタイプ)でデッドロックした経緯
タイプライターは、のちに電信機械としても使われることになる。
モールス信号の次の機械としてだ。
で、数字をどうするかということで、
qwertyuiopを1〜0に対応させて、共用することになった。
他の配列が提案されたとしても、
1〜0がバラバラに並んでしまい、
数字を入力できにくくなる。
だから却下されたらしい。
「そっち?」という理由にびっくりする。
3 Dvorak配列が否定されて、qwertyにデッドロックした経緯
海軍に導入しようとしたDvorakが失敗した理由は、
「全軍を統一的にDvorakにするには、コストがかかるから」という理由だったようだ。
合理性には評価があったかもしれないが、
それを覆すだけのコストをかけなかったわけだね。
また、先の電信用としても、Dvorakだと数字がバラバラに並ばなくなる。
それを覆すためには、国際電信信号を変えなきゃいけないわけで、
そこでもすでに手遅れ感があったね。
つまり、
qwertyはその配列の合理性で広まったわけではなく、
何かの付属物(大文字と小文字の打ち分け、数字)
として広まったに過ぎなかった。
すなわち、
qwertyの合理性について誰も検討していない、
ということになるわけだ。
もちろん、それを批判していた配列が無くはない。
カリグラフ。大文字しか打てず敗北。
のちに大文字小文字を単打で52キー搭載したが、
さすがに使いにくすぎた。
ロングリーの科学的配列。
注目すべきは運指番号。
右手は4列しか使わず伸ばしなし、
左手はCを人差し指で取る運指だ。
小指を極端に使わないような配慮が見られる。
グリフィスのミニモーション。運指経路の最適化を考えたのだろう。
中指ホームで標準運指だ。
だけど時代はすでに電信タイプライターで、
qwertyを覆せなかったのだろう。
これらは広まらなかった。
切り替えコスト(人の慣れというよりは、
物理タイプライターを交換するという物理コスト)
がその理由として一番大きかったのではないか。
レミントン社がリコールして全交換する、
みたいなサービスをやってれば、
交換した可能性はある。
だけど、社会的意義まで考えていなかったのが、
事実ではないか。
また、結局はイギリス式なのかアメリカ式なのか、
IBM方式なのかISO式なのか、
という政治的な勢力の結果にすぎず、
合理性についての議論がそれを覆すことがなかったのが、
人類の愚かさについてよく語っている。
日本語配列のことを考えれば、
親指シフトという優秀なものがありながら、
「国際基準に準ずる」という理由で、
qwertyローマ字が覇権を取っていったわけだ。
国際基準とは合理性ではなく政治力であるわけでね。
つまり、
qwertyは不合理にも関わらずなぜ普及したのか?
という根本的な答えは、
「科学で止められたコロナを無視して、
GoToキャンペーンやオリンピックを止められなかった政治家」
程度の間抜けしかいなかったから、
ということになろう。
あいつらなんて言った?
「今更止められないという結論になった」だぞ。
止めようとしたわけでもなく、「になった」という他人事がすごいわ。
もちろん、個人で対抗した人たちはいる。
だけど人類の行く末を決めるのは、
少なくともqwertyにおいては阿呆の勢力争いであった、
ということだ。
うん。まあ分かってたことだけど、
具体を確認できたのでヨシとしよう。
現在では、タイプライターを買い替える必要はない。
コスト0で新配列は導入できる。
あとは個人努力のみである。
努力には二つあって、
ブラインドタッチをマスターするだけの努力と、
異なる環境に対して適応する(全部を新配列にすることは難しく、
一部はqwertyを使う覚悟をする)努力だ。
これを個人に要求するのは、
やや難易度が高いと思う。
だから、新配列を使っている人は、
自己責任力に長け、ある程度環境構築力がある人だ。
なので阿呆はいないのだろう。
キー配列を自由化せよ、
というのが僕の主張である。
qwerty一択の世界を変えたい。
だけど人類はだいぶ阿呆だということが、
この本を見ていると理解できる。
一蓮托生として足を紐でつないでいたら、
全員海に沈んだ、みたいな感じ。
かしこき者は、さっさと紐を切れ。
2024年11月28日
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> 親指シフト
親指シフトよりTRON配列の方が「全体に普及」という意味では可能性があったかも?
WikikediaのBTRON(真相、、特に教育用パソコンへの導入計画
https://ja.wikipedia.org/wiki/BTRON#%E6%95%99%E8%82%B2%E7%94%A8%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%B0%8E%E5%85%A5%E8%A8%88%E7%94%BB
の部分。
もしTRON配列が広まってたとしたら、英語圏ではQWERTY配列が多数なのに日本ではアルファベットの入力はDvorakが多数というなんか不思議な状況がうまれてたかもなんて想像して楽しんだりしてます。
> qwertyuiopを1〜0に対応させて、共用することになった。
k-codeと似たような方法で少し驚きました。
TRON計画はアメリカに中止させられましたからね。
そこで日本のPCが活躍する未来は消えました。
ここでまた陰謀説なんかがありますけど。w
だとしてもソフト的に実装すればよかったのに、
一体何やってたんだろうと思いますが。