2025年03月12日

Who are you

そのキャラクターがどういう人物か、
どうやって表現するべきか?


見た目ではない。
それはアイディンティファイするための、
指標でしかない。
それは目立ち、区別がつきやすいようにするべきだ。
キャラクターデザインという見た目デザインは、
それを考える。
体格やアイテムや服や姿勢や癖など、
見た目による情報はとても多い。

だが、それは「きみは何者か?」には、
まだ答えたことにならない。

どういうことを言うのか?
もまあある。
ある場面のときに、
〇〇がこう言った、というのはとても印象に残り、
それがそいつを表す言葉になる、
というのはとても良くある。

だが、それだけではない。
その言葉が「行動」になっていないとだめだ。
たとえば、
〇〇と言うことで、未然に防いだ、とか、
〇〇と言うことで、誰かが動いた、とか、
〇〇と言うことで、それを実行した、とか、
言葉が行動になっているときに、
そのキャラクターの言葉は染みるのだ。

もちろん、何も言わずに行動してもよい。
最良のセリフとは無言であった。

ということは、
行動でその人は決まるということだ。

この人は誰? 何者?と聞かれたときに、
「〇〇をした人」となるのが、
もっともわかりやすく、
その人が誰かを表すのだ。

アインシュタインは、
「神はサイコロを振らない」と言った人ではなくて、
相対性理論をつくった人である。
藤子不二雄は、
ベレー帽を被り、オバQみたいな奥さんがいた人ではなくて、
「ドラえもん」を描いた人だ。
偉人だけでなくて、
身近な人でもそうだ。

その人をなぜ認めているのか、
ということを思い出すとよい。
偉大な業績とまでは言わなくても、
〇〇な時に〇〇をしてくれた、
という尊敬がどこかにあるのではないだろうか。
つまり、
あるキャラクターがそこに存在するには、
何かしらの尊敬が必要ということだ。
ものすごく尊敬していなくてもよい。
そいつがそこにいてよい、という敬意があるだけでよい。

あなたは誰ですか?を問うとき、
あなたの見た目はまあどうでもよい。
整っていれば好印象だろうが、
好印象のやつが悪役ってこともよくある。
そして、悪いことを考えていても、やっていなければ悪人ではない。
単なる思考実験家に過ぎないのだ。
結局、あなたという枠組みをつくるのは、
「何やった人?」なのだ。
業績があればそれもよし、
なければ、どういう場面でどんなことをやりましたか、
ということなんだよね。

文化祭で映画を撮って受けました、
かけっこで1番取って甲子園出ました、
崖から落ちそうな女の子を助けたことあります、
教室の椅子を全部ひっくり返して机の上にのっけたイタズラをしたことがあります、
3人殺しました、
闇バイトしてました、
などなどなど。

つまり、
何かを思っていたり、考えていたり、
どういう見た目をしているか、以上に、
その人の行動が、
その人がどんな人物かを決定する、
ということなのさ。

闇バイトをしていた人が、
スーツを来てようがパーカーを来てようが、
メガネをかけていようがオシャレしていようが、
汚い格好をしていようが、
丁寧な言葉遣いをしようが汚い言葉しか喋らなかろうが、
面白い冗談を言う人だろうが、変わった口癖をしようが、
関係ない。
その人は闇バイトをしていた人なのだ。

行動がいかに決定的か、わかると思う。

つまり。
キャラクターを設計するときは、
まずその行動を作るとよいわけ。
この人はどういう人?
と考えるときに、
この人は何をしたことのある人?
どういうことをする人?
と考えるのだ。

悪を倒し正義を成す人、というのなら、
それまでに何かしら正義の行動をしていたほうが、
その人を信じられるよね。
先の魔王を倒した人でもよいし、
荷物を忘れてるのを届けた人でもよいわけ。
それはストーリーによるだろうが、
正義っぽい格好をしているとか、
正義っぽいことを言うとか、
正義っぽいアイテムを持っているとかは、
関係ないことが分るよね。

つまり、その人の本質である。
本質は見た目や言葉や態度ではなくて、
行動なのだ。
なぜなら、見た目や言葉では嘘がつけるからだね。
行動がその人の本質だ。

だから映画に出てくる悪人は、こぎれいな恰好をしていて、
見た目でだます人が多いし、
善人はそれとはまず分らない見た目だったりするよね。
「外見でこうだと思っていたのだが、
ほんとうはこのような人だったのか!」というのは、
驚きがあり、おもしろい場面になるからだ。

だから、たいてい見た目と真逆な本質を持っていることが多いよね。

まずは本質を考えよう。
そして見た目というガワをかぶせよう。
順目のガワでも逆目のガワでもよい。
ガワだけつくっても、仏つくって魂入れずの状態でしかない。
その人は何をする人なのか?
その人は何をした人なのか?
それをつくるのだ。

アイデンティティーを、
どのように表記するべきかは難しい問題がある。

しかし映画の場合は簡単だ。
行動で示すことである。
posted by おおおかとしひこ at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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