2025年03月13日

あなたはどこで輝くのか

スポットライトを浴びて活躍する人がいる。

スタアというのは、観衆を集めて、
そこだけで輝ける人のことを言う。
逆にいうと、日常生活ではあんまり輝けない。
あなたは多分地味で陽キャではなくて、
グループの中で輝く存在にはなっていないが、
「ものを書く瞬間」だけは輝ける人だろう。

そんな風に、人によって、
輝ける場所や場面は違うよ、
という話。


現実ではもちろんそうだ。
裏方で輝く人は、裏方をやればいい。
事務仕事で輝く人は、事務をやるべきだ。
交渉事で輝く人は、外交官をやればよい。
ものづくりで輝く人は、そういう現場に行くべきだ。

で、物語もこれと同じだよ、
という話だ。

主人公はおそらく適材適所の場所にいない。
だから違和感や疎外感を感じていて、
自分が輝ける場所は他にあると思っていて、
それがついに輝ける活躍をして、
最後にはその場所を見つけた、
というのが、ベストのストーリーラインになるだろうね。

「輝ける場所を見つけたが、悪い場所だった」になれば、
バッドエンドやピカレスクロマンになるだろう。
「輝ける場所から転落して、ついに輝けなかった」
なら、バッドエンド極まりない。
「輝ける場所はあったが、一時的なものでしかなかった」ならば、
ビターエンドになるだろう。
(戦場でしか生きられない兵士とか、
ギャンブルの瞬間しか輝けない人とか)

そして、主人公だけではない。
脇役の人、主人公と組む人、
敵、ライバル、ヒロイン、
それぞれが、
それぞれの輝く瞬間を探している、
などと考えると、
人生シミュレーターとしてのフィクションが、
急に面白くなるよね。

そして、良いシナリオというものは、
彼らに活躍の機会を均等に与える。
つまり、「全員に見せ場がある」ようにするわけだ。

輝ける場所を探していたのに、
不完全燃焼に終わるなら、
キャラクターとして勿体ない、と感じてしまうに違いない。
(そういうキャラクターは出オチになりがち)


さて。
なぜ違うキャラクターたちが存在するのか?
それは、なぜ世界には違う人間がいるのか?
の答えと同じである。
特性と役割が違うからだ。使命が違うかもしれない。

だから、ある場面ではあるキャラクターが輝けて、
別の場面では別のキャラクターが輝けるのだ。
「得意技が設定されていて、
その得意技を使う場面がやって来る」だけでは浅い。
そうじゃなくて、
「ほんとうはこういう風にして活躍したいと思っていたのだが、
その発露の機会が訪れず、
いまようやくそのチャンスを得た」
という風に作っていけると、面白くなる。

なぜなら、
人はつねに活躍の機会があるわけでなくて、
「俺もこういう機会があれば、
隠れた才能を開花させられるのに」
という願望を持っているからだ。

つまり、そこに感情移入できるというわけだ。
誰もがそうだからだ。

それをご都合にさせずに、
うまく展開でつくっていけたら、
願望を満たしてあげることが出来るだろう。

そして、異なるキャラクターが異なる場面でそれが出来るようにつくれれば、
「人には役割や使命がそれぞれある」
ように見えるだろうね。


ステージで輝く人がいる。
裏方で輝く人がいる。
人と人の間に入って輝く人がいる。
孤独のときに輝く人がいる。
それぞれでよい。
その輝く瞬間をうまく用意できるならば、
それは人生をうまく描くことになるだろう。

人生は色々で複雑だ。
だから、キャラクターは異なるべきだし、
輝く瞬間も異なるべきなのだ。
それをうまく描けるシチュエーションを用意するのも、
シナリオライターの仕事だと思う。

だから、人生の輝き方のバリエーションをつくることが、
シナリオライターの仕事だとも言える。


で、出来るならば、
クライマックスで全員が輝くようにすると、
わくわくするよね。
posted by おおおかとしひこ at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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