スポットライトを浴びて活躍する人がいる。
スタアというのは、観衆を集めて、
そこだけで輝ける人のことを言う。
逆にいうと、日常生活ではあんまり輝けない。
あなたは多分地味で陽キャではなくて、
グループの中で輝く存在にはなっていないが、
「ものを書く瞬間」だけは輝ける人だろう。
そんな風に、人によって、
輝ける場所や場面は違うよ、
という話。
現実ではもちろんそうだ。
裏方で輝く人は、裏方をやればいい。
事務仕事で輝く人は、事務をやるべきだ。
交渉事で輝く人は、外交官をやればよい。
ものづくりで輝く人は、そういう現場に行くべきだ。
で、物語もこれと同じだよ、
という話だ。
主人公はおそらく適材適所の場所にいない。
だから違和感や疎外感を感じていて、
自分が輝ける場所は他にあると思っていて、
それがついに輝ける活躍をして、
最後にはその場所を見つけた、
というのが、ベストのストーリーラインになるだろうね。
「輝ける場所を見つけたが、悪い場所だった」になれば、
バッドエンドやピカレスクロマンになるだろう。
「輝ける場所から転落して、ついに輝けなかった」
なら、バッドエンド極まりない。
「輝ける場所はあったが、一時的なものでしかなかった」ならば、
ビターエンドになるだろう。
(戦場でしか生きられない兵士とか、
ギャンブルの瞬間しか輝けない人とか)
そして、主人公だけではない。
脇役の人、主人公と組む人、
敵、ライバル、ヒロイン、
それぞれが、
それぞれの輝く瞬間を探している、
などと考えると、
人生シミュレーターとしてのフィクションが、
急に面白くなるよね。
そして、良いシナリオというものは、
彼らに活躍の機会を均等に与える。
つまり、「全員に見せ場がある」ようにするわけだ。
輝ける場所を探していたのに、
不完全燃焼に終わるなら、
キャラクターとして勿体ない、と感じてしまうに違いない。
(そういうキャラクターは出オチになりがち)
さて。
なぜ違うキャラクターたちが存在するのか?
それは、なぜ世界には違う人間がいるのか?
の答えと同じである。
特性と役割が違うからだ。使命が違うかもしれない。
だから、ある場面ではあるキャラクターが輝けて、
別の場面では別のキャラクターが輝けるのだ。
「得意技が設定されていて、
その得意技を使う場面がやって来る」だけでは浅い。
そうじゃなくて、
「ほんとうはこういう風にして活躍したいと思っていたのだが、
その発露の機会が訪れず、
いまようやくそのチャンスを得た」
という風に作っていけると、面白くなる。
なぜなら、
人はつねに活躍の機会があるわけでなくて、
「俺もこういう機会があれば、
隠れた才能を開花させられるのに」
という願望を持っているからだ。
つまり、そこに感情移入できるというわけだ。
誰もがそうだからだ。
それをご都合にさせずに、
うまく展開でつくっていけたら、
願望を満たしてあげることが出来るだろう。
そして、異なるキャラクターが異なる場面でそれが出来るようにつくれれば、
「人には役割や使命がそれぞれある」
ように見えるだろうね。
ステージで輝く人がいる。
裏方で輝く人がいる。
人と人の間に入って輝く人がいる。
孤独のときに輝く人がいる。
それぞれでよい。
その輝く瞬間をうまく用意できるならば、
それは人生をうまく描くことになるだろう。
人生は色々で複雑だ。
だから、キャラクターは異なるべきだし、
輝く瞬間も異なるべきなのだ。
それをうまく描けるシチュエーションを用意するのも、
シナリオライターの仕事だと思う。
だから、人生の輝き方のバリエーションをつくることが、
シナリオライターの仕事だとも言える。
で、出来るならば、
クライマックスで全員が輝くようにすると、
わくわくするよね。
2025年03月13日
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