2025年03月16日

総力戦

クライマックスは全員に活躍の場があるとよい。
ということは、
良いクライマックスは必ず総力戦になるということだ。

同じ能力の者は物語にはいない。
必ず、別々の能力があることになっている。
それは、同じ能力だと上下が発生するし、
キャラクターが立たないからだ。
キャラが被ってしまうということである。

なので、それぞれが尖っていて、
しかも全員集めたときに総合力としてそろっている、
というのがよい采配である。

敵はどうだろう?
同じくの時と違う時がある。
総力がそろっているときは、
頭脳戦になることが多いと思う。
そろっていない時は、
穴をつくことで勝利できるに違いない。

穴をつくだけだとチートみたいになり、
納得性が薄いから、
なるべく総力戦vs総力戦になるのがいいんじゃないか。

とはいえ、それを作ること自体はなかなか難しいから、
味方は総力戦で、
敵はすごい力だが穴がある、
みたいにしておくと、
倒しやすいかもしれない。


主人公だけが活躍するのではない。
味方や脇役も活躍するのが望ましい。
なぜなら、そのほうがおもしろいからだ。

もし主人公のやろうとしていることが、
社会的に意味があり、みながやるべきことだと思ったら、
みなが味方してくれるだろう。
正義とは限らない。
みんなが賛成してくれるかどうかだ。

一人一人は凸凹だけど、
チームとしてそろったときには、
穴のないすべての能力がそろっている。
そんなチームを描くと、
おもしろいはずだ。


じゃあどういう風につくればいいかというと、
「〇〇は得意だ(能力)が、
△△は苦手(弱点)」のように、
能力と弱点を同時につくっておくことだ。
それを生かしたストーリー組が出来たときに、
それらは生かされることになるだろうね。

総力戦はラストだけとは限らない。
第一ターニングポイント、
ミッドポイントのような、
結節点でも行われることがある。
第一次総力戦、というべきか。
総力戦は何回かあってもよいが、
たいていはどこか抜けていて、
ほんとうに全員そろった総力戦は、ラスト、
というのがよくあるパターンだね。

もちろん、なぜ戦うのか、
なぜ総力戦をやってまで勝利したいのか、
というところが物語における動機や正義ということになる。
そこが面白くないと、いくら総力戦だけ描いても詰まらないだろう。
ディテールを考えることも大事だが、
そもそもなんでこれをするんだっけ、
ということを常に意識しておくことだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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