物語には主人公の目的がある。
その目的を叶えるまでが物語だ。
しかし一発で解消しない。
そこに至るまでの七転八倒、七転び八起きが、
物語なのだ。
つまり、あなたは七回の失敗と、八回の立ち上がりを描く必要がある。
七と八というのは縁起のいい数字にしか過ぎないので、
実際には5と6かもしれないし、
12と13かもしれない。
その辺はストーリーによるだろう。
で、必ず起き上がる回数は、
失敗の回数より一個多い。
失敗しておしまいならばハッピーエンドにはならない。
失敗するが、また挑戦して最後に成功するのが、
物語というものだ。
失敗は完全な大失敗の場合もあるし、
まあまあ成功だが完全な成功とはいえない場合もある。
半々の場合もある。
失敗だと思われたが、実は小さな成功をしていた場合もある。
完全に成功なのだが、
横やりが入って台無しになる場合もある。
色んな成功と失敗があるわけだ。
そして、それに応じて、
「今度こそ失敗しないぞ」と挑戦しては、
また失敗する、
というのが物語の中盤ということになるわけ。
そのように、中盤を設計しているだろうか?
という話である。
ある目的をもって進み始めた主人公は、
障害にぶち当たることになっている。
成功ではなく、それは失敗の一要素、一変形だろう。
それを回避したり迂回したり、克服したりして、
とにかく成功する。
しかしそれは完全な成功とはいえず、
また別の障害が……
という一連のチェーンリアクションが、
物語というものである。
つまり、浮き沈みがたくさんある。
七転八倒とは、そういうことを意味している。
これは第二幕だけだろうか?
そうではない。
一幕からあってもよいし、
三幕でシーソーゲームになってもよい。
とにかく、頭から尻尾まで、
「目的は達成できるのか?」に、
注目させなければならない。
途中で飽きてくるパターンもある。
ずっとその目的に集中していると飽きる。
だから、
「なぜこれをしなければいけないのか」を、
別の意味が加わって再確認する場面や、
まったく別の目的が生まれて、
しばらくそれを追いかける場面(サブプロット)が、挿入されることもある。
しかし、まったく別の話ではなく、
本筋と関係していたとか、
そのことが本筋の解決に重要な役割を果たすようにつくると、
その別話が本筋であったかのように見えてくるわけだね。
(サブプロットの接続)
なので、うまくできた話では、
結局七転び八起きしている、に見えてくるだろう。
一見全然関係ないサブプロットでも耐えられるのは、
メイン目的が飽きているということと、
いずれそれがメインの話に合流すると期待できるからだ。
(全然関係ありませんでした、なら全カットでも問題あるまい)
これは、
ストーリーが始まってから、
終わる瞬間まで仕込むことが出来る。
コインを落とした、という失敗を、
拾う、というムーブで取り戻そうとして、
拾った瞬間ファンブルしてまた落とす、
などのように細かいレベルで成功と失敗を繰り返すことが可能だ。
会話においても、
一回間違ったことを言ってしまうが、
うまくフォローして事なきを得る、
なんて場面だってそうだろう。
そういうのを細かく数えていくと、
七転びどころではなく、
100回以上転んでいるかもしれないね。
順調にまっすぐ安定して成功へのロードを進む映画などない。
相撲でいう横綱相撲であるが、
それは詰まらないからだ。
成功するのかしないのか、
とっさにやったことで失敗したり、逆に成功したりと、
綱渡りするような七転八倒こそが、
見世物になるわけだ。
だってそのほうがハラハラするでしょ。
つまり、
あなたの物語は常にハラハラしていなければならない。
危なっかしくて見てられねえや、
と言わせるほどのものになるべきだ。
でも現実じゃなくて、見世物なんだから、
そこにみんなハラハラして楽しむんだよね。
成功するのか?しないのか?
あの危険要素を放置するのか?しないのか?
その失敗の可能性に気づいているのか?いないのか?
なんてものを散りばめると、
よりハラハラすることになるだろうね。
つねに七転八倒させよ。
その必死さが、他人の娯楽になる。
2025年03月19日
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