2025年03月19日

七転び八起き

物語には主人公の目的がある。
その目的を叶えるまでが物語だ。
しかし一発で解消しない。
そこに至るまでの七転八倒、七転び八起きが、
物語なのだ。


つまり、あなたは七回の失敗と、八回の立ち上がりを描く必要がある。
七と八というのは縁起のいい数字にしか過ぎないので、
実際には5と6かもしれないし、
12と13かもしれない。
その辺はストーリーによるだろう。

で、必ず起き上がる回数は、
失敗の回数より一個多い。
失敗しておしまいならばハッピーエンドにはならない。
失敗するが、また挑戦して最後に成功するのが、
物語というものだ。

失敗は完全な大失敗の場合もあるし、
まあまあ成功だが完全な成功とはいえない場合もある。
半々の場合もある。
失敗だと思われたが、実は小さな成功をしていた場合もある。
完全に成功なのだが、
横やりが入って台無しになる場合もある。

色んな成功と失敗があるわけだ。
そして、それに応じて、
「今度こそ失敗しないぞ」と挑戦しては、
また失敗する、
というのが物語の中盤ということになるわけ。

そのように、中盤を設計しているだろうか?
という話である。

ある目的をもって進み始めた主人公は、
障害にぶち当たることになっている。
成功ではなく、それは失敗の一要素、一変形だろう。
それを回避したり迂回したり、克服したりして、
とにかく成功する。
しかしそれは完全な成功とはいえず、
また別の障害が……
という一連のチェーンリアクションが、
物語というものである。

つまり、浮き沈みがたくさんある。
七転八倒とは、そういうことを意味している。

これは第二幕だけだろうか?
そうではない。
一幕からあってもよいし、
三幕でシーソーゲームになってもよい。
とにかく、頭から尻尾まで、
「目的は達成できるのか?」に、
注目させなければならない。

途中で飽きてくるパターンもある。
ずっとその目的に集中していると飽きる。
だから、
「なぜこれをしなければいけないのか」を、
別の意味が加わって再確認する場面や、
まったく別の目的が生まれて、
しばらくそれを追いかける場面(サブプロット)が、挿入されることもある。
しかし、まったく別の話ではなく、
本筋と関係していたとか、
そのことが本筋の解決に重要な役割を果たすようにつくると、
その別話が本筋であったかのように見えてくるわけだね。
(サブプロットの接続)

なので、うまくできた話では、
結局七転び八起きしている、に見えてくるだろう。
一見全然関係ないサブプロットでも耐えられるのは、
メイン目的が飽きているということと、
いずれそれがメインの話に合流すると期待できるからだ。
(全然関係ありませんでした、なら全カットでも問題あるまい)


これは、
ストーリーが始まってから、
終わる瞬間まで仕込むことが出来る。

コインを落とした、という失敗を、
拾う、というムーブで取り戻そうとして、
拾った瞬間ファンブルしてまた落とす、
などのように細かいレベルで成功と失敗を繰り返すことが可能だ。
会話においても、
一回間違ったことを言ってしまうが、
うまくフォローして事なきを得る、
なんて場面だってそうだろう。
そういうのを細かく数えていくと、
七転びどころではなく、
100回以上転んでいるかもしれないね。


順調にまっすぐ安定して成功へのロードを進む映画などない。
相撲でいう横綱相撲であるが、
それは詰まらないからだ。
成功するのかしないのか、
とっさにやったことで失敗したり、逆に成功したりと、
綱渡りするような七転八倒こそが、
見世物になるわけだ。
だってそのほうがハラハラするでしょ。

つまり、
あなたの物語は常にハラハラしていなければならない。
危なっかしくて見てられねえや、
と言わせるほどのものになるべきだ。
でも現実じゃなくて、見世物なんだから、
そこにみんなハラハラして楽しむんだよね。
成功するのか?しないのか?
あの危険要素を放置するのか?しないのか?
その失敗の可能性に気づいているのか?いないのか?
なんてものを散りばめると、
よりハラハラすることになるだろうね。


つねに七転八倒させよ。
その必死さが、他人の娯楽になる。
posted by おおおかとしひこ at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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