2025年04月02日

リライトの2射程

リライトをするときに、
常に二つの射程を考えておくべきだ、
という話。
短距離射程と長距離射程である。


射程というのは、
そのリライトが影響する範囲、
というくらいに考えておこう。

あるシーンAをA2に書き換えることを考える。
なぜそれをやろうと思ったか、
という分析や理由について考える。

「その表現よりもこうした方がよくなるから」
「そもそも言いたかったのはこれであり、
このように直したほうがより伝わりやすくなるから」
というとき、
それは短距離射程のリライトである。

その文が及ぶ範囲、前後の文、そのシーンくらいの射程で、
セリフやト書きや表現そのものを直すわけだね。
それは「完成度を上げる」という目的や理由によるものだ。
近視眼的な範囲、といってもよい。
地面に顔を近づけて、
ゴミ一つないようにするリライトである。
完璧主義者ならば、ここを完璧にしないと気が済まないだろう。


で、全然違うリライトの射程があって、
「そもそもそのシーンが全体に及ぼす意味や影響」
を考えてするリライトもあるというわけ。

たとえば、今細かいところを直すべきだと思っているのだが、
そのリライトをしてしまうと、
全体がよくなくなるので、
あえてそのままに放置する、という考えもときにはあるわけ。

そもそもそのシーンだって、全体から考えたら要らないかもしれない。
あるいは、AとBを一緒にしてCに書き換えたほうがいいならば、
Aをいくら細かくA2にリライトしても意味がない。

AをもともとA2にリライトしたほうが近視眼的にはベストかもしれないが、
それよりも良くないA3にしたほうが、
全体のバランスがよくなるなら、そうするべきかもしれない。
すべては全体のまとまりである。


あるシーンをもっと良く書き直そうとしているうちに、
このあとで来るシーンの伏線を入れ込んでしまうことがよくある。
それは全体の射程が同時に行われているリライトということだ。

今自分は何をどう直しているのか?
そもそもこのリライトはどの射程のリライトなのか?

長距離射程のリライトをやっているのに、
短距離しか見えてなくないか?
短距離のリライトをしようとしているときに、
長距離射程のことまで考えていないか?

つまり、リライトのときには、簡単に混乱がやって来る、
ということを言おうとしている。


射程の異なるリライトを混ぜると、
訳が分からなくなる。
長距離射程のリライトを短距離のリライトに混ぜると、
場面の勢いや面白さが減り、完成度が下がる。
短距離のリライトを長距離のリライトに混ぜると、
話がよれていく。
どちらも面白くするには、
同時に二つを重ね合わせてやるしかない。


これは訓練でしか学べない感覚だと思うとよい。
リライトが下手な人は、
両方やるべきときに、片方しか出来ていないことにある。

場面自体は良くなったかもしれないが、
全体としてはたいして良くなってなかったり、
全体としてはこうするべきだが、
場面だけ見たら詰まらなくなっていたりするわけだね。

それは、同時にふたつの射程でやっていないからだ。


両方できるようになろう。
「それは今この場面で必要なことか?」
「それは全体として必要なことか?」
の両方をつねに意識しておかないと、
とんちんかんなリライトになり、
「第一稿のほうが良かった」になりがちだ。

リライトは単なるライトより難しい。
しかしそれをやらないと、
完成度なんて全然上がらない。
そして10回20回直しても、
第一稿よりよくできなけれはならない。
posted by おおおかとしひこ at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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