リライトをするときに、
常に二つの射程を考えておくべきだ、
という話。
短距離射程と長距離射程である。
射程というのは、
そのリライトが影響する範囲、
というくらいに考えておこう。
あるシーンAをA2に書き換えることを考える。
なぜそれをやろうと思ったか、
という分析や理由について考える。
「その表現よりもこうした方がよくなるから」
「そもそも言いたかったのはこれであり、
このように直したほうがより伝わりやすくなるから」
というとき、
それは短距離射程のリライトである。
その文が及ぶ範囲、前後の文、そのシーンくらいの射程で、
セリフやト書きや表現そのものを直すわけだね。
それは「完成度を上げる」という目的や理由によるものだ。
近視眼的な範囲、といってもよい。
地面に顔を近づけて、
ゴミ一つないようにするリライトである。
完璧主義者ならば、ここを完璧にしないと気が済まないだろう。
で、全然違うリライトの射程があって、
「そもそもそのシーンが全体に及ぼす意味や影響」
を考えてするリライトもあるというわけ。
たとえば、今細かいところを直すべきだと思っているのだが、
そのリライトをしてしまうと、
全体がよくなくなるので、
あえてそのままに放置する、という考えもときにはあるわけ。
そもそもそのシーンだって、全体から考えたら要らないかもしれない。
あるいは、AとBを一緒にしてCに書き換えたほうがいいならば、
Aをいくら細かくA2にリライトしても意味がない。
AをもともとA2にリライトしたほうが近視眼的にはベストかもしれないが、
それよりも良くないA3にしたほうが、
全体のバランスがよくなるなら、そうするべきかもしれない。
すべては全体のまとまりである。
あるシーンをもっと良く書き直そうとしているうちに、
このあとで来るシーンの伏線を入れ込んでしまうことがよくある。
それは全体の射程が同時に行われているリライトということだ。
今自分は何をどう直しているのか?
そもそもこのリライトはどの射程のリライトなのか?
長距離射程のリライトをやっているのに、
短距離しか見えてなくないか?
短距離のリライトをしようとしているときに、
長距離射程のことまで考えていないか?
つまり、リライトのときには、簡単に混乱がやって来る、
ということを言おうとしている。
射程の異なるリライトを混ぜると、
訳が分からなくなる。
長距離射程のリライトを短距離のリライトに混ぜると、
場面の勢いや面白さが減り、完成度が下がる。
短距離のリライトを長距離のリライトに混ぜると、
話がよれていく。
どちらも面白くするには、
同時に二つを重ね合わせてやるしかない。
これは訓練でしか学べない感覚だと思うとよい。
リライトが下手な人は、
両方やるべきときに、片方しか出来ていないことにある。
場面自体は良くなったかもしれないが、
全体としてはたいして良くなってなかったり、
全体としてはこうするべきだが、
場面だけ見たら詰まらなくなっていたりするわけだね。
それは、同時にふたつの射程でやっていないからだ。
両方できるようになろう。
「それは今この場面で必要なことか?」
「それは全体として必要なことか?」
の両方をつねに意識しておかないと、
とんちんかんなリライトになり、
「第一稿のほうが良かった」になりがちだ。
リライトは単なるライトより難しい。
しかしそれをやらないと、
完成度なんて全然上がらない。
そして10回20回直しても、
第一稿よりよくできなけれはならない。
2025年04月02日
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