2025年04月10日

感情の目減り

あまりリライトを繰り返すと、
本編の感情をこすりすぎることになる。
なので、
第一稿ではあったように思えた熱や感動や新鮮さが、
こすられてすり減ってしまいがち。


エロ漫画家は、
自分の作品で抜くことがあるのかな。
ネームが出来た時点で抜いて、
絵を描いているときはまあ仕事としてやっているのだろうか。
最後の仕上げまで、エロという感情を、
目減りさせずに描けるものだろうか。

脚本も、
第一稿を書き終えたあとは、
ビビッドな感情で彩られたものになっているはずだけど、
二稿、三稿と直すと、
「すでに抜いた作品を扱う賢者モード」
になりがちよね。
だから機械的な直しになり、
情熱がどんどんなくなっていくと思う。

それは良くない。

必ず情熱的に扱うべきだ。

それが出来ないのは、
扱いが下手で感情を想起できないのか、
感情が想起できないほどのつまらない作品の、
どちらかだ。


入り込みすぎて客観性を失っていたり、
逆にこすりすぎて感情がなくなっていたりしたら、
正しく作品を見れていないということだ。

つねに、最初に触れた観客の気持ちになって、
リライトや分析はしていくものだ。


徐々に冷めていくリライトは、
間違ったリライトだと思う。
「もうすっかりこすった感情なんだけど、
毎回ここに来るといいと思うよなあ」
というのが理想の作品とリライトの関係だ。
そしてそれは、最後の編集まで続くだろう。

飽きたな、とか、
これってそもそもよかったんだっけ、
最初はいいと思ったけど、今は無感情だなー、
というのはよろしくない。
飽きてもなおビビッドな色を保つ感情に、
していこう。

できないのは、あなたに感受性がないか、
原稿が詰まらないかのどちらかだ。
どちらかは自分で判断できないため、
時々他人に判断を仰ぐといいだろう。
まともな感性を持つ人を選ぶといいだろう。

あるいは、
常に大阪のオカンを飼うとよい。
「それ、なんぼかおもろいんか?」
とつねに懐疑的な阿呆な、しかし真摯な客を想定する。
おもしろければ素直に拍手するし、
しょうもなかったら素直にブーイングするだろう。
「前のほうがおもろかったな!」とか、
「今回のほうがええで!」とか、
素直に言ってくれるのがよいので、
心の大阪オカンは役に立つぞ。


一旦忘れるために、しばらく離れるのもいい手だ。
感情が戻って来るかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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