あまりリライトを繰り返すと、
本編の感情をこすりすぎることになる。
なので、
第一稿ではあったように思えた熱や感動や新鮮さが、
こすられてすり減ってしまいがち。
エロ漫画家は、
自分の作品で抜くことがあるのかな。
ネームが出来た時点で抜いて、
絵を描いているときはまあ仕事としてやっているのだろうか。
最後の仕上げまで、エロという感情を、
目減りさせずに描けるものだろうか。
脚本も、
第一稿を書き終えたあとは、
ビビッドな感情で彩られたものになっているはずだけど、
二稿、三稿と直すと、
「すでに抜いた作品を扱う賢者モード」
になりがちよね。
だから機械的な直しになり、
情熱がどんどんなくなっていくと思う。
それは良くない。
必ず情熱的に扱うべきだ。
それが出来ないのは、
扱いが下手で感情を想起できないのか、
感情が想起できないほどのつまらない作品の、
どちらかだ。
入り込みすぎて客観性を失っていたり、
逆にこすりすぎて感情がなくなっていたりしたら、
正しく作品を見れていないということだ。
つねに、最初に触れた観客の気持ちになって、
リライトや分析はしていくものだ。
徐々に冷めていくリライトは、
間違ったリライトだと思う。
「もうすっかりこすった感情なんだけど、
毎回ここに来るといいと思うよなあ」
というのが理想の作品とリライトの関係だ。
そしてそれは、最後の編集まで続くだろう。
飽きたな、とか、
これってそもそもよかったんだっけ、
最初はいいと思ったけど、今は無感情だなー、
というのはよろしくない。
飽きてもなおビビッドな色を保つ感情に、
していこう。
できないのは、あなたに感受性がないか、
原稿が詰まらないかのどちらかだ。
どちらかは自分で判断できないため、
時々他人に判断を仰ぐといいだろう。
まともな感性を持つ人を選ぶといいだろう。
あるいは、
常に大阪のオカンを飼うとよい。
「それ、なんぼかおもろいんか?」
とつねに懐疑的な阿呆な、しかし真摯な客を想定する。
おもしろければ素直に拍手するし、
しょうもなかったら素直にブーイングするだろう。
「前のほうがおもろかったな!」とか、
「今回のほうがええで!」とか、
素直に言ってくれるのがよいので、
心の大阪オカンは役に立つぞ。
一旦忘れるために、しばらく離れるのもいい手だ。
感情が戻って来るかもしれない。
2025年04月10日
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