あるアイデアを自由に考える、
ということを考える。
いつもやることだ。
で、素人は、「自分が自由に考えたものを1個出す」
しかしないんだよね。
「自由に考える」ことに慣れてない。
自分が普段枷をかけている考えを解放して、
自分が自由になったから考えた、
と思っているんだろう。
そうではない。
「自由に考える」とは、
「どのような考え方があるのだろう?」と、
考えることである。
つまり、
「このように考えてもよいし、
このように考えても自由だ」
という、複数のルートを発見することにある。
正解を別解を含めて複数用意すること、
ともいえる。
あることに対して、アイデアを考える、
ということはこの仕事のうえで毎日やってくることだ。
そのときに、うーんと考えて、
一個出すのは素人だ。
プロは、
「こう考えればこのような解になるし、
このように考えればこのような解があるし、
こういう解が欲しいなら、
前提をこう変える必要がある」
などのような、
複数の考え方を提示できる。
というか、する。
なので、
「ああでもない」「こうでもない」
と多角度から考えることが、
プロが「自由に考える」ことである。
「まあベタはこう考えるやろ」
「こういうベタもあるよな」
「こういう逆張りもあるよな」
くらいまでは自動的に出てくるので、
「それとはまったく異なる観点から見たアイデアはあり得るか?」
「どこから眺めようか?」
を考え、回答を思いつくまでやるんだね。
しかもそれが1個2個じゃなくて、
もっとたくさんできるまでね。
昔はみんなで集まって、会議室を取り、
できるまで帰れませんなんてことがよくあった。
しかし働き方改革やらコロナでそういう習慣も駆逐されて、
「別の考え方を考える」
練習をしていない若者が増えたと思う。
これはある程度訓練できる。
色んな立場の人の考えに立てばいいからね。
「あ、この考え方もあるな」と発見するまで、
多方向から観察することが、
見方を鍛えることになるんだね。
さて。
自由に考えなさい。
次の面白い話はなにか?
2025年04月13日
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