2025年04月13日

自由に考える、とは複数通り考えること

あるアイデアを自由に考える、
ということを考える。
いつもやることだ。

で、素人は、「自分が自由に考えたものを1個出す」
しかしないんだよね。


「自由に考える」ことに慣れてない。
自分が普段枷をかけている考えを解放して、
自分が自由になったから考えた、
と思っているんだろう。

そうではない。
「自由に考える」とは、
「どのような考え方があるのだろう?」と、
考えることである。

つまり、
「このように考えてもよいし、
このように考えても自由だ」
という、複数のルートを発見することにある。
正解を別解を含めて複数用意すること、
ともいえる。


あることに対して、アイデアを考える、
ということはこの仕事のうえで毎日やってくることだ。

そのときに、うーんと考えて、
一個出すのは素人だ。

プロは、
「こう考えればこのような解になるし、
このように考えればこのような解があるし、
こういう解が欲しいなら、
前提をこう変える必要がある」
などのような、
複数の考え方を提示できる。
というか、する。

なので、
「ああでもない」「こうでもない」
と多角度から考えることが、
プロが「自由に考える」ことである。

「まあベタはこう考えるやろ」
「こういうベタもあるよな」
「こういう逆張りもあるよな」
くらいまでは自動的に出てくるので、
「それとはまったく異なる観点から見たアイデアはあり得るか?」
「どこから眺めようか?」
を考え、回答を思いつくまでやるんだね。
しかもそれが1個2個じゃなくて、
もっとたくさんできるまでね。

昔はみんなで集まって、会議室を取り、
できるまで帰れませんなんてことがよくあった。

しかし働き方改革やらコロナでそういう習慣も駆逐されて、
「別の考え方を考える」
練習をしていない若者が増えたと思う。

これはある程度訓練できる。
色んな立場の人の考えに立てばいいからね。
「あ、この考え方もあるな」と発見するまで、
多方向から観察することが、
見方を鍛えることになるんだね。


さて。
自由に考えなさい。
次の面白い話はなにか?
posted by おおおかとしひこ at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック