2025年01月11日

【薙刀式】その無駄は、面倒なのか遅いのか

無駄を省こう。
煎じ詰めれば、我々のやっていることはこれだ。

じゃその無駄は何を浪費してるのだろう。
エネルギーなのか、時間なのか。


ぶっちゃけ両方なんだけど、
分けて考えた方がいいと思うわけ。

たとえばqwertyローマ字は、
無駄の極致のような複雑な動線を描くが、
これを整理して新配列にしよう、
といったとて、
「私はそこそこ速いので必要性がない」
という反論が来るのは、
エネルギー効率を評価せず、
速さだけを見ているからだ。

「○○配列に変えたのだが、
手は確かに楽になったが、
一向に速くならない」
というお悩みも、
エネルギー効率を評価しつつも、
速度を目的としてしまってると思う。

「遅くなったけど、
腱鞘炎が治ったので薔薇色のゴールだー!」
がなんだか負けた気になるのも、
我々の中でいかに速度が無意識に重要と思われてるかの証拠だ。

でもそもそも無駄を省こうというのは、
速度が遅くなったとしても、
労力が減り、効率が良くなったっていいはずなんだよな。
そのことによってn倍働けるようになり、
生産性がn倍あがればいいじゃんね。

ライフハックやショートカットは、
動線の何かを短絡させて、
手間を省く方法だ。
根治療法ではなく対症療法ではあるものの、
一定の効果をあげるだろう。
AZIKはこの哲学の上にいると思う。



しかし、効率以上に重要なことがある。

思考だ。

思考するのがそもそも書くことの目的である。
手は、それを記録するにすぎない。
書くこと自体は目的ではなく、
思考を書くことが目的だ。
(ここがタイパー視点では完全に抜けているから、
タイパーはこの話に参加してこない)

記録の動線に無駄があれば、
思考を圧迫し、自由な想像を妨げる。
結果、目的を損なっている。

僕がqwertyローマ字の無駄を省きたいと思ったのは、
まさにそこであった。
書いてるうちに内容が蒸発するから、
無駄を省けば思考に費やせると考えた。

もちろん3秒以内に書きたいという速度は必要だと思ったが、
qwertyローマ字で3秒で書けても意味がないと考えた。
だってそもそも無駄な手の動きが、
思考を邪魔しているからだ。


で、動線を整理したローマ字カタナ式をつくったが、
今度は打鍵数が多いことが無駄に思えて、
打鍵数を省いたカナ配列薙刀式にたどりついた。
(脳内発声の問題は生理的なことであり、
今はその話は関係ない部分のところ)

それも、順次打鍵式ではなく同時打鍵式にすると、
見かけ上のアクションが減るから、
無駄を省いているように感じたのだ。
(同時打鍵が性に合わない人もいるらしい)

速さは結果的にqwertyローマ字の3倍になったけど、
仮にqwertyローマ字と同じか、少し遅かったとしても、
僕は薙刀式を選ぶと思う。

動線が整理されている、
ただそれだけが「無駄を省く」ように思えるからだ。


ことばに最短距離で触っている。
ことばを著すのに2回曲がってから、とかやってない。
そういう感覚が、
思考を著すときに必要なのではないかと思う。

なので究極の目標は漢直なのだが、
まだそこにうまく辿り着けていない。
漢字を無駄なく整理する方法がまだ分からないので。



とかく新配列は、
「速いの?」と疑問に思われる。
そうではなくて、
「無駄を省いてるの?」と質問されたい。


人はめちゃくちゃ無駄なことでも、
鍛えまくれば速度はあがる。
僕が駅まで歩くよりも、
雑技団がバク転しながら行く方が速いと思う。

qwertyの達人は僕より速いけど、
僕はバク転しながら駅まで行く気はしない。
posted by おおおかとしひこ at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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