2025年04月19日

執筆は孤独なマラソンだ

このブログを読んでいる人で、
実際に2時間の映画脚本を書いた人はどれくらいいるのか不明だけど、
120ページと格闘するのはほんとうに苦労する。

この真っ暗闇のマラソンのような競技をするときの、
注意点を書いておく。


まず、どこを走ってるのか、よくわからなくなる。
そのためにプロットを書いておく。
今全体のどういうパートを書いているのか、
分らなくなると書けなくなる。
上り坂なのか、下り坂なのか、
わざとミスリードしている部分なのか、
真実なのか、嘘なのか、
このシーンの役割は何で、次にどういうシーンが控えているのか。

そういうことがすぐに分らなくなることが多い。
だからプロットを書いておき、地図にするのだ。

ただ真っ暗なところを思いつくまま書きなぐっても、
詰まらないものになるし、
仮に面白いものが書けても単発だ。
ストーリーというのは、線が絡み合う楽しさであるから、
そのシーンだけ関係なく面白くてもあまり意味がない。
(そういうシーンはあると便利だけど)

何と何が関係している面白さなのか、
を書かなければならない。
だから、プロットがぬるいと、
それを容易に見誤るのだ。

これはある程度書きなれないと、
事前に予測してプロットを準備しておくことは難しい。
ということは、書きなれないうちは、
つねに「プロットにない部分をその場でアドリブで書く」をやらないといけない、
ということになる。

これはつらい。つらいから、マラソンにたとえている。

これ進研ゼミでやったやつだ、
みたいに「ここはすでにプロット段階で死ぬほど考えて、
これがベストだとわかっている」
という確信がない限り、
書くことは大変苦しい。
それを何度も経験しないと、
「事前にプロットを練っておく」ことの、
大切さを学ぶことは出来ないと思う。

死んだやつはプロットが大事だとわからぬまま死ぬだろう。
だから、生き残った先人は、
例外なく「プロットを事前に考えろ」というのだ。


僕は目をつぶって走ったことはないが、
それくらい危険なことなんだろうね。
石に躓くかもしれないし、車に轢かれるかもしれない。



次に大変なことは、
「計画と違う思いつき」だ。
キャラクターが勝手に動いたり、
計画よりもよいアイデアが出ちゃうことがあるのよね。

その場合は、とりあえずその方向にはみ出すことを推奨している。
生き生きとするだろうし、
それを封印して窮屈な原稿を書くのは、
もっとつらいだろうからだ。

ただしそのパートを書き終えたら、
「計画通りとどっちがおもしろい?」
というのを詳しく検討するべきだ。
結局計画通りにいかないと辻褄が合わなかったりするからね。


三番めに厄介なことは、
「これがほんとうにおもしろいのか?」
と、疑心暗鬼になってしまうことだ。

たしかに思いついたときにはおもしろい、と思ったんだけど、
書いているうちに、なんか違うとか、
これを書く意味ってあるのかな、とか、
疑心暗鬼になってしまい、
俯瞰的に見て自信を失い、
やめてしまうことがとてもよくあると思う。

これは次にするべきことが思いつかず、
だらだらとシーンを続けてしまったときに、
とくによく起こる。
これもプロット通りに書けなかったことによる、
弊害だと思うと通過しやすくなるかもね。


そもそも書き始める前に、
「なぜこれをおもしろいと思うか」をメモしておくのも悪くない。
それさえ守れれば面白いんだ、
と確信できる何かを書いておくと、
迷わなくて済むだろう。

先日書いていた第一稿の魅力を、
僕は一言「情熱」とメモした。
それさえ守れれば、どうリライトしてもOK、
というくらいに割り切って、
リライトの暗闇を走りとおした。

それくらい、走っているときは単純な言葉のほうが、
強みになる。
複雑な応援の言葉は届かない。
がんばれだけだと単なる気力の問題になってしまう。
そうじゃなくて、つねに「情熱たれ」を気を付けて書けばおもしろいはずだ、
という盲目的信仰みたいな状態で、
書くことになったわけ。

まあそのおかげか、リライトはうまく行ったと思うが、
さらに別の思い付きをしたので、
これから試していく感じ。



マラソンが難しいのは、
疑心暗鬼が一番かな。
途中でほんとうにこのままやってしまっていいの?
と自信を失うことが一番よくあるように思う。
それを失わないように、
プロットを練って地図を明らかにしておくことや、
これだけ守ればおもしろいはず、
という灯台をつくっておくことを、
勧める。

実際の陸上のマラソン競技では、
コーチがいたり随伴者がいたりして、
随時指示を出せるのだろうが、
執筆は基本一人でやるものだ。

(プロデューサーと二人三脚をすることもあるが、
ペンを動かすときは一人だ)


実際の旅の工程のように、
「まずはあそこの目的地までたどり着こう、
そのあとはそのあと考えよう」
なんてことはよくある。
だけど、その目的地が適切な距離感にないと、
「あそこまで行けない」なんてことがよくある。
部分的に分解して、
とりあえずあそこまでたどり着こう、
を増やしていくと、行けるかもしれないね。

(たとえば30分置きの大ターニングポイントだと、
遠すぎてたどり着けないので、2シーン先とか、
細かいレベルで目的地をつくるといい。
そのためには、プロットの結節点がこまかく考えられているほうがやりやすいね)


初めて2時間を書いたときはいつだったかなあ。
もう忘れたけど、
一時の情熱だけで書ききれる量ではない。
コツコツと毎日やって、なんとかたどり着けるものだ。

「最後まで書ける人がまず少ない」
という状況の中で、
最後まで書くことはえらい。
えらいけど、おもしろくないならえらくない。


まあ、すべてはラストシーンまでたどり着いての話だ。
孤独なマラソン経験者じゃないと、
このつらみは分らないと思う。

創作とは、一人で達成することだ。
誰の手も借りずに達成する経験をつみ、
練習されたい。

(的確なアドバイザーはいるかもしれないが、
アドバイスと実際に書くものは違うのだ。
アドバイスを聞いたからといって、
あなたが書く文章が詰まらないなら詰まらないのだよ)
posted by おおおかとしひこ at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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