このブログを読んでいる人で、
実際に2時間の映画脚本を書いた人はどれくらいいるのか不明だけど、
120ページと格闘するのはほんとうに苦労する。
この真っ暗闇のマラソンのような競技をするときの、
注意点を書いておく。
まず、どこを走ってるのか、よくわからなくなる。
そのためにプロットを書いておく。
今全体のどういうパートを書いているのか、
分らなくなると書けなくなる。
上り坂なのか、下り坂なのか、
わざとミスリードしている部分なのか、
真実なのか、嘘なのか、
このシーンの役割は何で、次にどういうシーンが控えているのか。
そういうことがすぐに分らなくなることが多い。
だからプロットを書いておき、地図にするのだ。
ただ真っ暗なところを思いつくまま書きなぐっても、
詰まらないものになるし、
仮に面白いものが書けても単発だ。
ストーリーというのは、線が絡み合う楽しさであるから、
そのシーンだけ関係なく面白くてもあまり意味がない。
(そういうシーンはあると便利だけど)
何と何が関係している面白さなのか、
を書かなければならない。
だから、プロットがぬるいと、
それを容易に見誤るのだ。
これはある程度書きなれないと、
事前に予測してプロットを準備しておくことは難しい。
ということは、書きなれないうちは、
つねに「プロットにない部分をその場でアドリブで書く」をやらないといけない、
ということになる。
これはつらい。つらいから、マラソンにたとえている。
これ進研ゼミでやったやつだ、
みたいに「ここはすでにプロット段階で死ぬほど考えて、
これがベストだとわかっている」
という確信がない限り、
書くことは大変苦しい。
それを何度も経験しないと、
「事前にプロットを練っておく」ことの、
大切さを学ぶことは出来ないと思う。
死んだやつはプロットが大事だとわからぬまま死ぬだろう。
だから、生き残った先人は、
例外なく「プロットを事前に考えろ」というのだ。
僕は目をつぶって走ったことはないが、
それくらい危険なことなんだろうね。
石に躓くかもしれないし、車に轢かれるかもしれない。
次に大変なことは、
「計画と違う思いつき」だ。
キャラクターが勝手に動いたり、
計画よりもよいアイデアが出ちゃうことがあるのよね。
その場合は、とりあえずその方向にはみ出すことを推奨している。
生き生きとするだろうし、
それを封印して窮屈な原稿を書くのは、
もっとつらいだろうからだ。
ただしそのパートを書き終えたら、
「計画通りとどっちがおもしろい?」
というのを詳しく検討するべきだ。
結局計画通りにいかないと辻褄が合わなかったりするからね。
三番めに厄介なことは、
「これがほんとうにおもしろいのか?」
と、疑心暗鬼になってしまうことだ。
たしかに思いついたときにはおもしろい、と思ったんだけど、
書いているうちに、なんか違うとか、
これを書く意味ってあるのかな、とか、
疑心暗鬼になってしまい、
俯瞰的に見て自信を失い、
やめてしまうことがとてもよくあると思う。
これは次にするべきことが思いつかず、
だらだらとシーンを続けてしまったときに、
とくによく起こる。
これもプロット通りに書けなかったことによる、
弊害だと思うと通過しやすくなるかもね。
そもそも書き始める前に、
「なぜこれをおもしろいと思うか」をメモしておくのも悪くない。
それさえ守れれば面白いんだ、
と確信できる何かを書いておくと、
迷わなくて済むだろう。
先日書いていた第一稿の魅力を、
僕は一言「情熱」とメモした。
それさえ守れれば、どうリライトしてもOK、
というくらいに割り切って、
リライトの暗闇を走りとおした。
それくらい、走っているときは単純な言葉のほうが、
強みになる。
複雑な応援の言葉は届かない。
がんばれだけだと単なる気力の問題になってしまう。
そうじゃなくて、つねに「情熱たれ」を気を付けて書けばおもしろいはずだ、
という盲目的信仰みたいな状態で、
書くことになったわけ。
まあそのおかげか、リライトはうまく行ったと思うが、
さらに別の思い付きをしたので、
これから試していく感じ。
マラソンが難しいのは、
疑心暗鬼が一番かな。
途中でほんとうにこのままやってしまっていいの?
と自信を失うことが一番よくあるように思う。
それを失わないように、
プロットを練って地図を明らかにしておくことや、
これだけ守ればおもしろいはず、
という灯台をつくっておくことを、
勧める。
実際の陸上のマラソン競技では、
コーチがいたり随伴者がいたりして、
随時指示を出せるのだろうが、
執筆は基本一人でやるものだ。
(プロデューサーと二人三脚をすることもあるが、
ペンを動かすときは一人だ)
実際の旅の工程のように、
「まずはあそこの目的地までたどり着こう、
そのあとはそのあと考えよう」
なんてことはよくある。
だけど、その目的地が適切な距離感にないと、
「あそこまで行けない」なんてことがよくある。
部分的に分解して、
とりあえずあそこまでたどり着こう、
を増やしていくと、行けるかもしれないね。
(たとえば30分置きの大ターニングポイントだと、
遠すぎてたどり着けないので、2シーン先とか、
細かいレベルで目的地をつくるといい。
そのためには、プロットの結節点がこまかく考えられているほうがやりやすいね)
初めて2時間を書いたときはいつだったかなあ。
もう忘れたけど、
一時の情熱だけで書ききれる量ではない。
コツコツと毎日やって、なんとかたどり着けるものだ。
「最後まで書ける人がまず少ない」
という状況の中で、
最後まで書くことはえらい。
えらいけど、おもしろくないならえらくない。
まあ、すべてはラストシーンまでたどり着いての話だ。
孤独なマラソン経験者じゃないと、
このつらみは分らないと思う。
創作とは、一人で達成することだ。
誰の手も借りずに達成する経験をつみ、
練習されたい。
(的確なアドバイザーはいるかもしれないが、
アドバイスと実際に書くものは違うのだ。
アドバイスを聞いたからといって、
あなたが書く文章が詰まらないなら詰まらないのだよ)
2025年04月19日
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