2時間ちょうどのリアルタイム映画でない以上、
事態のスタートから終結までの、
どこかが必ず省略されている。
つまり、話とは、つねに全体集合の部分集合をもって語られる。
ある事件を語る話を考えよう。
犠牲者と犯人がいるとしよう。
それの何を語れば「話が分かった」ことになるだろうか。
事件の種類によるだろうが、
「様々な都合を全部描く必要はない」
ということを言おうとしている。
つまり、
「語られたものは、語るべきものの常に部分集合である」
ということだ。
それは尺の都合だろうか?
そうではない。
「そのように切り出したほうが、よりよい」からなのだ。
つまり、「語られなかったことは、直接語られることよりも、
想像に任せたほうがよくなる」
ものがあり、
そのようにしたほうが、全体がよくなる、
ということを言おうとしている。
つねにいうところの、パンチラはパンモロよりエロイ、
という話である。
ここはもろに出さずに、チラで済ませたほうが効果的である、
という箇所がつねにあり、
それはうまく省略したほうがキレが増す、
ということを言おうとしている。
省略には3種ある。
事前、途中、事後のうち、
どこから始めるか、ということだ。
全部を描くのではなくて、
事前と途中を描いて、事後は人々の噂話にするとか、
事前と結果だけ描いて、途中は想像に任せるとか、
事前を描かず、いきなり途中、事後を描き、
なぜそうなったのか想像させるとか、
をすればいいわけ。
事前、途中、事後を全部描くのを、オンで描くともいうし、
何かを省略するのをオフで描く、
という言い方をすることもある。
時系列通り、順番に描いている部分があるとして、
それのどこかを省略したいなあ、というときは、
事前、途中、事後のどれを省略すると、
効果的なパンチラになるか、想像がふくらむか、
ということを考えると、
よい省略が出来るかも知れない。
123456と素直に描かなくてもよい。
人は省略で想像する生き物だから、
12 6とやったって面白くなるかもしれないよ。
そこに全部ない7だけやってもいいかもしれないよ。
柔軟に、いろいろ考えるのも悪くない。
どうしても文字数をここで減らしたいときは、
7を考えることで一括にする手だってあるぞ。
全体集合を書くことが物語を書くことではない。
部分集合だけで面白く描けるなら、
それはそれでひとつの物語である。
2025年04月23日
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