基本的にはそうなんだけど、
じゃあずっと寝てたら床ずれになるし、
運動しないと衰えるのが人間だ。
むずかしいね。
Twitterから。
> 新配列自体は非常によく考えられて効率もよいものだと習得してみて思うのに、「腕が固定される感覚」が狭苦しいと感じるの、小柄なくせしてDDRでDPをやっていることと接続されている感じがする
たまにこういう意見をみかける。
qwertyはとても運動が激しい、
やった感のある配列で、
それを無駄だと批判して、
運動量を半分とか何分の一かまで抑えたものが、
新配列という効率性能だ。
で、新配列の効率をわかったうえで、
以前の野山を走ってた犬みたいに、
全力で走りたくなる日もあるのだろう。
じゃあqwertyで小説書けばよいのでは?
負荷のかかるqwertyで、
小説10万字とか、論文1万字を10本書けば?
野山を駆け回る犬のように喜べるぜ!
俺なんか脚本4万字を何本書いたことやら。
それを全部qwertyで書けばいいのさ。
しんどいなら、
ブログ1記事2000字を毎日qwertyで書けばいいよ。
DDRが好きなら、DDR攻略記事を毎日2000字、
qwertyで義務付ければいい。
そしたらストレス解消になるだろう。
負荷の高いことをやると、人は自信がつく。
そういう風にできている。
自分の限界を越えることが快感だと、
成長するからね。
そうやって人は進化してきた。
なので、負荷を自分に与える遊びもあるわけ。
qwertyで一本小説を書く遊びを、
どうぞやってください。
腕が折れても完結まで書くこと。
たのしいね!
時々、「qwertyで何も考えずタイピングゲームをやるのが楽しい」
という人がいる。
鍛えた運動神経の開放先を探してるんだろう。
せっかく鍛えたのに使わないのなら、
あの苦しい日々はなんだったのだと、
過去を否定したくない思いとの葛藤があるのだろう。
ハイ無駄でしたー!と新配列はいう。
何も考えずqwertyで虚無を打つくらいなら、
100%頭を絞り切って新配列で役に立つことを書いてください、
というのが新配列の立場だ。
新配列は運動しないことで頭に全振りしてるんだ。
タイピングを運動から切り離すことが、
新配列がやってることだ。
新配列は、タイピングをグラウンドのスポーツから、
コタツの哲学者に変えたのだ。
もうまったく別のジャンルの話なので、
同列に語るのは混同も甚だしいのだ。
運動したい人は、グラウンドへ。
あるいは、
新配列のままグラウンドのレースに参加する遊びもあるぞ。
Alternative Typing Contestでググレ。
2025年01月18日
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