Twitterから。
> 日本思想史で修論を書いている中国人院生、出発点は「なぜ、徳川などの武士は天皇を倒して名実ともにトップに立たなかったのか」なようで。実は私もわからん。
素人質問がときに本質を抉る。
日本人の性質が、傀儡を好むから?
歴史的に見るよりも、
僕は地理的な説を出したい。
都というものは、要害の地に建てられる。
飛鳥、京都、鎌倉。
(鎌倉なんていまだに渋滞が起きるくらい、
クネクネした狭い道路しかない)
一方、水運の地に建てられる場合もある。
大坂、江戸がそう。
都じゃないけど横浜や神戸もそう。
日本の歴史は、
「京都からなるべく遠いところで、
勝手に都市を建設する」で、
成り立ってきたのではないか。
京都→鎌倉→江戸みたいに、
「遠いところで勝手に繁栄したろ!」
という感じだと思うんだよね。
何が障壁になってるかというと、
「山」(一つの山ではなく、屏風のような山脈)
だと僕は思う。
何本かの街道さえ抑えればよかったんだ。
京都から東海道経由か、中山道経由しかないでしょ。
それ以外は江戸までうまく辿り着けない。
だから、
そもそも遠く離れたところは軍隊が行きにくい。
関ヶ原くらいしか途中で広いところないんだよな。
名古屋は信長、諏訪は武田信玄が抑えただろうし。
だから、京都から離れたところで勝手に繁栄することと、
それをやるために京都からお墨付きを得ることが、
日本で実質一番を取る、
方法論としてエネルギー消費が少なかったのではないか。
京都を根絶やしにするエネルギーが無駄で、
それより娘を差し出して外戚になるほうが、
よほど簡単だったんじゃない?
京都は敵ではなくて、味方にしてしまう感じ。
舞台が京都しかなかったら根絶やしにしただろうが、
「いや、別のところで勝手にやるんで」
と、山をたくさん超えた新天地に都をつくったことが、
大きいのではないか。
京都から攻める理由も手段もないし。
京都から進軍したのは、
歴史的に何回あるか詳しくないが、
戊辰戦争のときだけなんじゃないか。
つまり明治維新のとき。
徳川支配を抜け出す名実共の戦争だけなんじゃない?
鎌倉の武士とバチバチの戦争ってあったんだっけ。
にしても計二回で、あとはなあなあでやってたでしょ。
それだけ、京都から山を越えるのってコストがかかると思う。
東海道新幹線に乗っててもわかるけど、
トンネルだらけなのよね。
そのトンネル分、昔は足で行ってたんでしょ。
コストかかりすぎだと思う。
中国の人の歴史観は、中原の覇者だろう。
三国志の映像化を見てもわかるけど、
大平原の戦争だよね。
あんな地形日本にないのよね。
坂や森やアップダウンだらけなのが日本だ。
大体日本の時代劇の戦争は、
広場でやってもすぐに森の中へいくよな。
平地が少ないんだ。
平原で全部繋がってるなら、
「その平原で一番を取るには、
皆殺しでトップに上がる」が常識で、
山に閉ざされたいくつかの町に点々としてる土地なら、
「こっちで勝手にやっといて、お墨付きだけもらう」
が最適解になると思うな。
おおらかで傍若無人な中国人、
陰キャで事なかれ主義の日本人、
という民族性の違いはあるかもだけど、
それよりも地形コストが答えなんじゃないか。
大体さ、戦国時代以来の権謀術数ってさ、
「戦争しないための策略」
「敵に回さないための策略」が多くない?
だから僕時代劇がつまらないなーってずっと思ってたんよね。
戦争して勝つためのゲームをしてないなーって。
大河とかに興味が出なかったのはそこなんよな。
一方赤壁の戦いとか、勝つためのゲーム戦略になってて、
豪快でいいよね。
(まあぶっちゃけ、撮影コストもあろう)
中国の宮廷ものドラマとか見たことないけど、
暗殺とか戦争とかやってんのかな。
それとも「何事も起こらなかったようにする」がメインなのかな。
そこらへんをちょっと知りたい。
軍師の立場から両国を比較すると、
そんな感じではなかろうか。
でね、そんな通行不可能な山を、
超えられる存在がいて、それが忍者なのよ。
山でのサバイバルや山越えのやり方を知ってたからね。
だから忍者はすごいのだ、
というのを昔一通り調べた。
この説を検証するために、
一度東海道や中山道を徒歩で歩こうと思ったんだけど、
俺そこまで日本史詳しくねえや、
とやめた記憶がある。
中国人留学生は、歩いてみれば実感できるのでは。
日本は山だらけなんよな。
2025年01月22日
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