2025年01月24日

スキルと能力は違う

世間では同じと思われてるんだろうか。
僕はちょっと違うと思っている。


スキルは表面的に「それをできる」くらいの感じで、
能力は根本的に「それをできる」くらいの感じ。

スキルレベルだと不測の事態にあわあわとなって対応できないが、
根本的にわかってると、
ああそういうことね、だったらこれがあるとか、
改造したりできる、という感じ。


脚本でいうと。

文字数におさまるとか、
ト書きが現在形とか、
伏線と回収が書けるとか、
一番に二人ばかりの場面を続けないとか、
などはスキルのレベルだと思う。

この時点で「私は脚本が書ける」
という人もいるだろう。

でも能力レベルになると、
ストーリーラインを根本的に変えたり、
動機と行動を変更して無矛盾にしたり、
感動や笑いの質を変更したり、
テーマとモチーフの関係を変えたりなどの、
より上位の能力を指すと思う。

こうした世界再創造能力をもって、
ようやく「私は脚本が書ける」という人もいるだろう。



「脚本書ける人いる?」
という質問に、どのレベルで答えるべきだろう。

スキルレベルだと使い物にならないんじゃないかな。
「書けます」と、
スキルレベルで手を上げる若者は多いだろう。
さっさと有名になりたいだろうし、
書けるんだから書ける、と思い込んでいるかもしれない。
(多少書けなくてもごまかせるかも、
と甘いことを考えてるかもしれないが)

スキルレベルだと、第一稿を書くまでは出来る。
能力レベルだと、
世界を再創造してなお最終稿までおもしろい必要がある。
なんなら、第一稿を超えて面白くならなければならない。


ただし、能力レベルが同じ程度ないと、
脚本打ち合わせはすれ違うことが多いのよね。
能力差がある話し合いは、
低い方のレベルに合わせなきゃいけない。

だから最近の脚本はレベルが下がってるし、
それを嫌がる能力のないPが、
原作を脚本化するだけでいい、
つまりスキルレベルでいい、と考えて、
安易な原作の実写化ばかりやってるわけだ。

そしてそれは、能力レベルでなければ、
ほんとうには面白くならないことは、
数々の実写化失敗作品をみれば分かるだろう。

なんなら、全く異なるメディアに変換するために、
大きく再構築しなおさなければならない。

ドラマ風魔の例を引くまでもなく、
大胆な再改造がなければ、
本質的におもしろくならず、
付け焼き刃に原作に似てるところを探すチェックリストになりがちだ。



僕はその後「いけちゃんとぼく」を、
スキルレベルで脚本化してたなあ、
と今ではなんとなく実感していて、
能力レベルで再構築しなければならなかったのだなあ、
と今なら思える。

だからその後15年かけて、
脚本のことを本気で考えてきて、
少しずつ階段を登っている気がする。


脚本は、様々な理由で直す必要が出てくる。
僕は「いけちゃんとぼく」の脚本を24稿まで書いた。
スキルレベルでやってたらメタメタになる。
今見たら、メタメタの場所と成立してる場所がある。
これを、一本のようにまとめあげ、
再創造する能力が必要だったのだが、
それはその時までわからなかった。


今ならもう少しマシなものを作れると思うけど、
「そもそもこれが映画として商売になるのか?」
から配給を巻き込まなければならない。
だって宣伝部は「CGと子供しかいない作品はポスターに出来ない」
って、老人二人を出せとかほざいてたんだぜ。
作品を理解してないし、
そもそもどう売りたいのかができて無さすぎる。
「これは老人の話である。老人のラブストーリーである」
としてまとめあげ、商売しよう、
と最初から決めればよかったのか?
でもそれは原作とまるで違うものだよな?
そしてそれはおもしろいのか?


みたいな、
「作品の解釈」をまずやるべきで、
配給は商売(で勝つパターン)優先主義
(子供とCGの映画は売れないというレッテル)で、
原作至上主義ではない、なんてことは、
スキルレベルだと対処できないのよね。


そんなこと、誰も教えてくれない。
素人は、第一稿だけあげればおしまいだと思ってる。
24稿まで責任取って初めてプロなのだと、
誰も教えてくれない。



「ぼく、脚本が書けます!」というには、
スキルレベルでは足りない。
能力レベルが必要だ。

僕はそれを痛感したので、
それに必要なことをここで解説しているつもりだ。



自作キーボードの話なんだけど、
「自作やるためには、一通りプログラミングできた方がいいのか」
なんて話を聞いた。
いや、キーマップいじる程度なら、
cを一からやるにはカロリー高すぎると思う。
自作キーボードは、スキルレベルでいいんだよね。
cが本格的にできると、
何でもかんでも改造できるし、
世の中にあるどんなプログラムでも大体組めるようになるが、
そんな実力はキーボードではほとんど必要ない。


だけど、
脚本を書くということは、
一本の映画の第一稿を書くというスキルレベルでは全く対応しきれない、
cプログラミングマスターしてるレベルが必要だ。

こんなことを、
たぶんシナリオセンターでは教えてくれないだろうな。
そしてプロデューサーたちは今日も、
「脚本書ける人いる?」と探している。

需要と供給のバランスがおかしくて、
供給されたスキルレベルの人は、
心を病んでやめていくと思う。

じゃあ能力レベルまで鍛えてから実戦に出るのでは、
育成に時間がかかりすぎる。
数年でものになるとも思えない。
目指した人全員がたどり着ける境地でもない。
一本になる前に試す場所も消失している。
(長期シリーズのほんの1話だけやらせてみる、
なんてことが昔はよくあったが、
10話で終わるものばっかだから、
お試しのリスクが大きすぎるのだ)

なのでわりと深刻な状況だと僕は思っている。


徒弟制度にして各自が弟子を育てる仕組みがいいと思うんだけど、
弟子を食わせるほど脚本料は高くない。
ほんとはここが上がれば全部済むんだよなー。



と、現実を嘆いてもしょうがないので、
みなさんコツコツやりましょう。

スキルレベルですら足りない人は、
たくさん書いてスキルとして身につけましょう。
能力レベルで欲しい人は、
一本を半年間リライトして、
それを何本かやって、くらいに腰を据えてやるべきかな。
posted by おおおかとしひこ at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック