先日紹介した3シフト系同時押しのカナ配列の人が、
実際に使ってみた感想が興味深いので引用したい。
> せーちゃん@広並 整@sei_totono
> 配列いじったせいでタイプスピードガタ落ちしたけどタイプミスは減ってるのでプラマイゼロ
> ローマ字入力で文章考えるのってこんなにロスがあったんだなぁと思うなどしている 文章出てこないや
> すごいな
> あんなにスラスラ入力できてたのに今戻すとタイプミスと煩雑さがヤバい 私は特に脳内で言語思考してるから「ローマ字→かな」の思考ロスが大きいんだなって……
> すごいなこれ 今まで考えてた文章全部出てこないわ こんな変わるんだ……
> 入力速度にこだわってた時期もあったけど重要なのって「速度」より「ロスの軽減」なのかもしれん
> 明らかにローマ字入力とかな入力で思考使う場所が違うわこれ 今までかな入力メインにしてこなかったから気付かなかった 道理で携帯の方が文章出てくるはずだわ……フリック入力もかな入力だもんな……
ローマ字とカナの差を実感しているようだ。
僕の場合は、ローマ字=脳内発声あり、カナ=脳内発声なし、
ということに気づいて、ローマ字なんて二度と使うか、
となっているんだけど、
別の感覚もあろうと思う。
「脳内ローマ字変換などない」と、qwertyローマ字派はいうけれど、
実は達人だけがそうなだけで、そこに行くのは比較的難しくて、
そこまで行っていない人はローマ字のロスは結構あるのかもしれない。
で、たぶん、カナ系新配列をマスターする手間のほうが、
qwertyをそのレベルに上げるより簡単だ。
仮にトータル速度が遅くなったとしても、
脳内の「ロスの軽減」のほうが「書くこと」には大事だと僕は思う。
僕はよく「蒸発してしまう」というが、
書こうと思っていることに対して手間が多く、
そっちにかまけていれば、脳内リソースを割けないことになるからね。
すらすら書ける、ということには、
つまりは脳と手の間にロスが少なく、
手間がかかっていないことが重要で、
速度は結果に過ぎないということだ。
ひょっとしたら、タイパーに文章を沢山書く人がいないのは、
脳と手の間にロスが多い状態のまま放置されているからかもしれない。
(競技タイピングは、脳を通さずにコピーすることのほうが大事なので)
文章を書くということは、日本語の文を吐き出すことで、
そのあとの後処理工程
(ローマ字、漢字変換、誤変換やミスタイプの修正)
に時間をかけることではない。
日本語の文を吐き出して、
その感触を見ながら次の文を吐き出して、
というループを続けることであり、
後処理工程をやっていては、そのループが途切れやすくなる。
だから、それをロスと思い、
そのロスをカットできる方法論はないのか?
というのが、
「タイピングを速くしたい」ということの正体だと思う。
そういう風に表現するほど粒度が高くないから、
「タイピングを速くしたい」としか言えないのだろう。
実際、脳を使わない反射的なコピー打鍵が速くなりたいわけではなくて、
「自分の脳が考える文章をロスなく伝えたい」をしたいのだ。
それは、自分でやってみて、
粒度をあげて理解するしかないのだと思う。
そしてそれは、「やった人」じゃないと分らないので、
やってない人は「タイピングを速くしたい」と言い続けることになるのだろう。
この、理解の分断をうまく埋めたいと思っている。
qwertyローマ字がなぜくそかというと、
手間がかかりすぎるからだ。
その間思考が奪われるのだ。
じゃあ物理的にタイピングを速くなればいいのかもしれないが、
たのんさん(日本のトップタイパー)なみに鍛えないといけないわけで、
それは万人には無理なのだ。
カナ系新配列ならば、
その鍛えるルートに行かなくて済む。
マスターする手間(設計するならその手間も)、
環境構築の手間、システム更新に対して追随する手間、
などを加味しても、
トータルで脳内のロスがないほうが、
健康というものだ。
だから、いったん新配列を使い、
その良さが体で分った人は、
言葉でうまく説明できないが、
新配列を使い続けるのだと思う。
言葉で説明できないから、親指シフターみたいに攻撃するしか出来ないのだろう。
qwertyローマ字、実はその細い道を進んでいる間に、
大切な荷物をたくさん落としているんですよ。
カナ配列なら、
その思考の取りこぼしをある程度防げる可能性があるよ。
もちろん、JISカナよりは新配列のほうが、
タイピング弱者(=競技者レベルになれない人)には使いやすい。
ローマ字系で問題を感じない人はローマ字系新配列でもいいけど、
それでもロスを感じるならば、
カナ系新配列を試すのはやぶさかではないと思う。
2025年01月22日
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