2025年01月23日

話すことは離すこと

全脚本集という記事をつくって、本日24:00に公開します。

2003-2025の長短合わせて66本という、
膨大な量の一気公開です。(作品置き場にすでにあるものも含む)
このうち実現したものはわずかなので、
ほとんどは蔵出し。

死蔵してても勿体無いので、
大岡はこのレベルかー、と確認するのに使ったり、
大岡に書かせてみるかー、という基準にお使いください。

以下脚本とわたしみたいな話。


いつから脚本というものを書いてたのか、
を考えると小3だったかな。
毎学期あるお楽しみ会という場で、
創作演劇をやって、そのホンを書いて、
それから毎学期書いて、
中1と中2でも文化祭で演劇の台本書いてた。
(関西人なので大体コント)

中3でカメラで撮る前提の脚本書いて、
高1でその続編書いて、
大学で8ミリ映画のホン4本書いて。

それは全部演出したので、
自分がやる前提の脚本ばかり。
ただ最後の一本「ムーンライトキッド」1996は、
プロにならないと撮れないので撮ってない。
いつかそれをやる時が来るかなー。
(これはさすがに未熟なので今回には含まない)


2000年にプロのCM監督になってからは、
2003年に「キラー・ジョー」というショートフィルムをBS-iで書いて、
それが明確なプロ脚本スタイルだったかな。

その時に「大岡は書ける」となって、
以降ちょこちょこ企画して、
クレラップCMで当ててからGEに呼ばれて、
2005〜2006年ごろ映画企画と脚本をやって、
「オトギセヴン」「毎日かあさん」「ゴーゴーミニスカート」
を書いて、
脚本力をある程度認知させて、
2007年「風魔の小次郎」をやることになり、
その翌年いけちゃんとぼくのために角川映画に呼ばれたのであった。

風魔の脚本的成功と、
いけちゃんの脚本的失敗、
その2007-2009年が僕の人生の分水嶺で、
それから15年くらい、プロ映画監督としては沈黙している。



僕には脚本力が足りない。
だけどある程度書ける。

ある程度書けるやつが次の階段にいくにはどうすればいいか?
僕の周りには誰も教えてくれる人がいなかった。
CM業界に映画脚本家なんていないから、
岩井俊二、石井克人、中島哲也に続きたいと思いながら、
フィルムアート社の本を読み、
実戦でコツコツ鍛えるしかなかった。



その後CM監督で食い繋ぎながら、
コツコツと書いてはお蔵になっていった脚本たちを、
ここに虫干しします。
どれもおもしろくて、捨てるには惜しいものばかり。

最近のものほど面白いと思うので、
新しい順にならべることにしました。

映画10本、小説5本、ドラマ9本、短編7本、
脚本添削SP9本、長尺CM26本。

今夜24時、ぜんぶ出します。
一番面白いのから読んで欲しいので、
今書いてる脚本の最新稿もこのタイミングで公表します。
(更新したり城戸賞に応募するために隠すこともあります)




話すことは手放すこと。
僕から離れて、どこかに届くといい。
posted by おおおかとしひこ at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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