80年代くらいまでは、90分台の映画とか、
結構あったと思う。
いつから120分弱が映画の基本になってしまったんだろう。
昔は2本立て興行というのがあった。
90分程度の映画を2本流す興行だ。
チケットは一枚でよくて、
自由席で、なんなら一日中いれた。
今思えば、歌舞伎のチケットと同じ考えかたで、
日本の伝統的な小屋の料金なのかもね。
〇分制とか野暮なのさ。
そういう気軽な楽しみ方のものだと、
小さい作品が多かった気がする。
アイドル主演ものとか、
本格的じゃないやつ。
本格的な120分くらいのやつは、
ちゃんと1本興行をしていたと思う。
2本立てがなくなったのは、
90分の映画が消えたからか、
それとも儲からなくなったからか。
客からしたら、
外れが一本あっても、あたりが一本あればいいや、
とリスク分散できていたし、
120分で当たりを引かないと劇場がつぶれる、
という劇場側のプレッシャーもなかっただろうから、
気楽な興行だったんじゃないかなあと思う。
人気のあるやつはロングランして、
もう一本を交換すればいいしね。
120分2本立てはしんどいだろうね。
内容的に濃くて疲れちゃう。
90分くらいのちょうどいいやつを、
適当に流し見するのが、
一番娯楽になるんじゃないかなあ。
120分と90分は何が違うだろう。
長さが違うだけではないよ。
問題の濃さや深さが異なると思う。
90分はライトだ。
テレビドラマに近いとも言える。
120分はディープだ。
これは、120分映画と180分映画の違いにも似ている。
1・5倍だし。
120分のシナリオを書くのは、
大変疲れる。
準備や取材も沢山しなければならない。
だけど90分の映画なら?
2/3で済むよりも、
もっと少なくて済むと思う。
深さの2乗くらい準備が必要としたら、
2/3の2乗、44%程度の準備で済むことになる。
つまり、120分1本書く手間で、
90分2本書ける計算だ。
そこまでは無理かもしれないが、
それくらいの感覚、
というのは肌感覚で理解できるかもしれない。
90分映画だと、
20〜25分くらいで第一ターニングポイント、
40〜60分くらいでミッドポイント、
75〜80分くらいで第二ターニングポイント、
くらいになるのかな。
苦しい中盤をかなりはしょれて、
クライマックスの尺も短いから予算にも優しいし、
そもそも90分なんだから、
そんなに大それたクライマックスを観客が期待してない。
うーむ。これが不景気時代の映画を、
うまく回転させる方法論なんじゃないか?
120分は本格派にやらせればよくて、
90分の2本立てとかに、
新人のオリジナルとかをやらせるチャンスが与えられるのでは?
制作費も大したことないし、回収額も大したことはないが、
大プロジェクトにならなくてよいから、
もっと気軽に出来るような気がする。
好評なら追加撮影したり、パート2をつくればいいんじゃないか。
映画の難しさは、
出来るまでそれが名作かうんこか判断できないことだ。
うんこが出来上がるリスクを極限まで減らした結果、
安パイしかなくなり、名作が生まれにくくなっている。
多産多死しないと名作の出る確率は減る。
にも拘わらず、少産少死に戦略が切られているわけ。
多産多死しているジャンルはいまやYouTubeとかになり、
それってバラエティの方法論しかなくなり、
劇映画じゃないよね、ということになるわけだ。
45分映画の4本立てじゃあ、
満足感は少なさそうだから、
90分くらいがちょうどいいんじゃないかなあ。
そういうシナリオを一度書いてみてはどうだろう。
数本書いたら、
どれかは出来が良くて、
120分に練り直せるかもしれないよ。
90分で勝負するホンだったら、
案外90分の名作になる可能性だってあるわけだ。
「ルパン三世・カリオストロの城」は100分と、
90分映画に毛が生えたような規模だ。
この感じがいいんじゃないかなあ。
(実はその後、遺跡都市で壮大なチェイスが計画されていたのだが、
予算の関係で10分カットされたって。
そのことによって、「手軽な楽しみ」になってることは事実だ)
2025年04月27日
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