最近よく聞く言葉。
なんか変だなー、と引っ掛かることがあって、
あとで何かが発覚したときに、
あー、あれはあれの伏線回収だったのかー、
答え合わせができたわー、
というやつ。
基本的には伏線が回収された瞬間、
「あれだったのか!」と驚き、
その仕掛けの見事さにうなりたいわけだ。
だけど、そんなに上手な伏線とその回収がないので、
下手なそれが乱立することになる。
結果、
「答え合わせができてよかった」
という言い方になるんじゃないか。
下手な伏線は、「なんか違和感を持たせる」だと思う。
つまり、
変だなーと思わせておいて、
あとで「あの変な奴は伏線だったのか」と納得させる仕掛けだ。
これだと、「あー、これはあとで回収されるな」
という感覚でものを見ることになる。
違和感を探すようになるわけだね。
それは伏線と回収を楽しむことにならない。
よくできた伏線というものは、
伏線であることに気づかれないものだ。
あとあとそれを回収して、
「あれ、伏線だったのかよ!」が良い伏線と回収だ。
しかし、
あとで思い出せない伏線になると困るので、
「めだつもの」として伏線を用意しておかなければならない。
結果として、
単に目立つだけで、今ここにあるには違和感があるもの、
が出来上がってしまう。
それは下手な伏線になるわけ。
上手な伏線は、
「目立つもので、かつ自然な進行」で行われる。
僕は、コツとしては、Aとして目立ったものを、
Bとして意味を変えてあとで使え、
という風にまとめている。
記憶に残る、あー、あれよかったよね、
という感覚を、
それ、伏線にも使うの?
という驚きに変えていくとよいわけ。
それが下手だと、
単に目立つが違和感があるものしか描けずに、
「あのへんなやつの答え合わせができた」
になるんだろうなあ、ということ。
もちろん、フィクションにもそれはたくさんあるし、
伏線と回収が上手ではない、
現実のほうにもっと多いかもしれない。
たとえば、アイドルが変な写真を上げてて、
実は〇〇と付き合っているという匂わせで、
あとでそれが発覚たしときに、
その写真の答え合わせができた、
というやつはよくあるだろう。
下手な伏線回収は、違和感を使うんだな。
上手な伏線回収は、強い印象を塗り替える。
「答え合わせ」が最近よく使われるのは、
ネットが発達して、
なにか事件が起きたときに、
過去のツイッターやインスタを漁って、
伏線回収になるようなものを見つけたときだね。
今もあるか分からないが、昔は「卒業文集」がよく使われた。
あの事件を起こした人は、
小学校の頃、高校生の頃、こんな文章を書いている人で、
事件を起こしかねない人だったのだ……
なんて答え合わせに使われた。
(卒業文集は沢山あり、誰かは保存しているから、
金を積めば手に入れやすかったのもあるだろう)
この根底にある心理は、
「人は、突然のことに対応できない。
理由が欲しい」ということだと思う。
たとえば明日地震が起きて、
東京が壊滅したとしよう。
その時に、我々は突然のことに対応できなくて、
理由を欲しがるんだよ。
「そういえば、カラスが鳴いてた」とか、
「〇〇の予言に書いてあった」とか。
それが因果関係にはなっていないのに、
理由があると安心するんだよね。
「理由が分からなくて不安になる」
がある程度だけど消失するので。
つまり、不安解消行為であるわけ。
「きみが好きだ」と理由なく言っても訳が分からないが、
「優しくしてくれて、〇〇をおごってくれて、
〇〇なところが好き」と理由を述べると、
ただ不安である状態から、理屈がつけられるので安心することが多い。
俳優と女優が付き合ってるのが発覚したときも、
「〇〇というドラマで共演し」とあれば、
そうかそれはしょうがないなー、となる。
誰かが死んだときも、
「〇〇という病気で」と死因が分れば、
「そうか」という。
何か原因を探したい、という心理が、
人にはあると思う。
そういう心理が、
答え合わせをしたがるんじゃないか。
つまり、
上手な伏線と回収は、
不安を抱かせないことから始まるわけだ。
なんか違和感があって不安になるのは、
伏線ではないわけ。
まさかそれが伏線だったとは、
が最上の伏線である。
強烈に何かを記憶に残して、
まったくそれと異なる文脈としてあとで回収すると、
それが伏線だったとはなー、と、
みな満足するだろう。
答え合わせは、
だから伏線と回収のテクニックとしては、
下であるわけだね。
答えが合ってるかを確認することは、
物語を楽しむ行為ではないだろう。
2025年04月28日
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