人生とゲームを比較するとおもしろい。
Twitterで見たのだが、
「もっともプレイされたクソゲーは?」「人生や」
というネタに対して、いろいろなツッコミがあって面白い。
https://x.com/125748c/status/1890725389179158814
そして、ゲーム側から見ることで、
ゲームとは人生をやり直せる装置としてつくられたのだなあ、
と逆に見えてくる。
ゲームはリセットできる
ゲームはセーブしてやり直せる
ゲームは初期条件を変えられる
ゲームは攻略本がある
ゲームのイベントはランダムではない
ゲームは納得できるようにつくられている
ゲームは学習できる
ゲームは簡単に途中でやめられる
ゲームは何度でもプレイできる
みたいなことだろうか。
人生はそうではない、ということだ。
だから、「人生を描く」には、これを描くとよい。
人生は一回しかない
人生はリセットできない
人生はセーブできない
人生は初期条件を変えられず、条件を整える必要がある
人生は攻略本がない。アドバイスや占いはある
人生のイベントはランダム要素が多い
人生は理不尽なことが多い
人生は学習できない
人生は簡単にやめられない
きついね。つらいね。
だから、人生でみんな無茶しない。
リスクを取り、ゲームオーバーになることを嫌がる。
だから、物語を見るのだと思う。
物語は、自分の人生でできなかったはずの、
「もうひとつのリスクのある後戻りできない自分」を、
疑似体験するためにあるんじゃないか?
映画館に入ることがセーブポイントなのだ。
ここから先はもうひとつの人生体験であり、
セーブポイントにいつでも戻れるぞ、と思うから、人は映画を見る。
だから映画はゲームだ。
できない人生のゲームである。
そしてゲームと違うところは、
インタラクティブじゃないので、
こちらが、考えられるかぎり、
盛り上げて面白くしなきゃいけないところだね。
きちんとルール説明をして、
ベストルートが必要だ。
ノーミスクリアがベストルートとも限らない。
成功と失敗が両方やってくる、
ハラハラである必要がある。
そしてこれほんとにベストルート?と思わせておいて、
最後の最後に、「これが最善の最短ルートだったわー!」
って思わせないといけない。
そしてセーブポイントに無事返してあげなきゃいけない。
「こっちを選んだ方が良かったかなあ」ってね。
2025年02月17日
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