説明の下手な人は、説明は説明、ストーリーはストーリー、
と分けてしまう事だ。
本当はストーリーを進行させながら説明して、
説明しながらストーリーを進行させるべきだ。
だけど、
どうしても説明だけのパートが出ることがある。
そこで、ただ説明しているだけでは詰まらない。
面白くする工夫は、感情を伴うことだ。
たとえば通行止めがあり、
夜まで解除されないと説明することにしよう。
検問があり、警官がそれを説明するとする。
感情を伴うとは、
たとえば「困ったなー」とドライバーが言えばいい。
「それじゃ困るよ。夜までに届けないといけないんだ」
と、「困る」という感情を伴うとよい。
でもこれは説明を受ける側の感情だ。
説明する警官の感情も伴うといいだろう。
「我々も困ってるんです」などと付け加えるとよい。
「ちょっと困ったことに、この先通行止めなんですよ」
と、説明すればいいのだ。
その後なぜ通行止めなのか、いつまで通行止めなのか、
なぜか、などの説明が入ったとしても、
「これは困った事情なのである」という感情があるから、
その感情とともに記憶に残るわけだ。
うれしいことは記憶に残る。
悲しいことも記憶に残る。
そんな感じで、強い感情は記憶とつながりがある。
そしてそもそも説明を理解しなくても、
「困ったことがある」のように理解できる。
感情を伴って悪いことはひとつもない。
一個あるとすると、
警官が自分の私情を露わにして、果たすべき公務を果たしていない、
などというしょうもない批判だろうか。
CMだとクレームが来るだろうが、映画ならば問題あるまい。
人懐こいオッサンなら大丈夫だろう。
「私たちはこれから嬉し恥ずかしの同棲生活を始めますが、
その前に説明したいことがあります」
なんて前置きがあれば、
その説明を嬉し恥ずかしな気持ちで聞くことだろう。
「大変つらいことですが、
奥さんの病状について説明します」
となると、覚悟が決まるだろう。
これらは最初に感情を前置きしているから分かりやすいが、
途中で放り込んでもいい。
説明して、説明して、
「俺もめんどくさくなってきたのでこれからはしょるが、
要はろくでもないことがこれから起こるってことさ」
と間に挟めば、
説明の内容とともに、
めんどくさく、ろくでもない予感が記憶に残るだろう。
説明はなんのためにするかを考える。
情報を共有して、次の展開の準備をして、
伏線を引くことでもある。
同時にルールを共有して、これからの突破口を考える手立てにもなる。
そもそも情報量が多いと時間がかかるために、
ついつい必要最低限にして、
文字数をへらそうと思ってしまうことはあるだろう。
だけど、無味乾燥な情報は、
ストーリーの中では灰色で詰まらないのだ。
「いいニュースと悪いニュースがある。どっちから聞く?」
というハリウッドでよくある表現は、
そもそもどちらの説明も感情を伴うわけである。
逆に、説明されてなんの感情も持たないものは、
説明として失敗しているのではないだろうか。
ゲームならば、
「これを利用してどういうゲームメイキングをしようかな」
という材料になるが、
ストーリーはインタラクティブではないので、
主人公がこれからどう考え、どう行動するかにしか関係しない。
つまり、感情移入という大事なものに関係するべきだ。
だから、主人公の感情または他のキャラクーの感情とともに、
説明を紐づければいいわけだ。
「ここは生き馬の目を抜く恐ろしい都会……」
というオープニングならば、
恐怖しながらストーリーに入れる。
その後の猟奇的な事件は、
すべて恐怖という感情とともに記憶に残るだろう。
そもそも何を説明しようとしているのか?
僕は、最終的には感情だと思うんだよね。
だから、そもそも説明に感情を伴うようにしよう。
逆に感情のない説明は、
おそらく「退屈」という感情が伴うに違いない。
そして下手な説明ってたいていエクスキューズのためにあるんだよ。
だから「エクスキューズされてる」
というしょうもない感情が湧くのよね。
「これはCM上の演出です」って字幕最初に入れた人、
バカじゃないのって思う。
言い訳してる説明ほどみっともないものはない。
「なんで浮気したの?」「オドオド、以下説明」
なんて「追い込まれてるから嘘をついてる」
以上の感情はないよね。
2025年05月09日
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