2025年05月19日

乱暴な愛

逆を組み合わせると、何か新しいものが生まれる可能性がある。

愛は優しいものである、という先入観を逆にすれば、
乱暴な愛という概念をつくれる。
そしてそれは、しばしば物語に現れるよね。


他にも色々考えよう。

暗闇で安心する、
指一本触れないで殺す、
残酷な歌、
バラバラの家族(よくありすぎる)、
憎しみ合う夫婦(よくありすぎる)、
平和な村(ホラーの舞台。大体何か隠されている)。
嬉しい日に雨が降る。(「雨に唄えば」)。
好きな人に会えるのは火事。(「八百屋のお七」)

まあ、なんかを逆にしたら、
大体アイデアになるわけだ。

名詞でも動詞でも形容詞でもいい。
なんか適当に先入観のあるなにかをもってきて、
その逆と組み合わせると、
何かができる。

その中には、上にあげたように、
代表的でよくあるパターンがあるものだ。

旅人がたどり着いた最果ての村が、
穏やかな住人ばかりでとても平和で友好的に見え、
地方神を皆信仰している秩序ある村なのだが、
その夜狂い始めて…なんてのはよくある導入だよね。


もちろん、全体的なテーマでなくても、
ディテールとしてもこれは使える。
二つ名「不動馬」の男とか。
公開セックスとか。
低い天井の部屋とか。(「マルコビッチの穴」)
両手が右手の男とか。(「ジョジョの奇妙な冒険」)

なにかしらディテールに癖づけをする時のコツともいえる。
異形、異端、異常をつくることは比較的簡単だ。
その中に真実が込められていたら、
それは物語になりえる。


上のベタな例で言えば、
「家族は仲良く結束するものだ」
という通常があるから、
「私の家族は皆バラバラです」は、
異常家族としてテーマになりえるわけだ。

まあ散々やりすぎて、
「仲良く結束する家族」をあまり見なくなったので、
陳腐化したわけだけど。

人は死ぬからこそ、その逆の不老不死は、
常に物語のテーマになりえる。
人は愚かだからこそ、その逆の全知全能もだ。
両思いがあるからこそ、片思いがあるわけだ。
滑る芸人は、ジョーカーになるしかなかったね。


常識を疑え。
常識や通念の逆をつくってみよ。
逆を組み合わせると、
何かの物語の種になりうる。
posted by おおおかとしひこ at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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