あなたがいかに苦心惨憺して、
技巧の限りをつくしたものをつくっても、
それを理解できる人はいない。
あなたほどの技巧を持つ人しか、
その価値を理解できないからだ。
たとえばアインシュタイン。
アインシュタインというとすぐに、
E=mc^2
の質量とエネルギーを結びつけた式が出て来る。
だけど、アインシュタインの功績は、
相対性理論だよね。
その方程式、
G_μν+Λg_μν=8πG/c^4・T_μν
が使われることはまずない。
テンソルという、行列の一個上のものを理解しないとわからないので、
大学院レベルの数学の知識が必要だ。
僕も完全に理解していないので解説できないが、
重力場と時間に関する複素数を使った方程式だったはず。
つまり、これを理解できる人しか、
この話ができない。
だけど、中学生でもわかる式、
E=mc^2
の話なら誰でもできるよね?
質量を消失させたらc^2倍の莫大なエネルギーになるので、
ウラン数gを核分裂させたら広島が消し飛ぶ、
という話をすぐにできるわけだ。
つまり、人はシンプルなものしか理解できない。
ついてこれる人の少ないものには、
大衆はついてこない。
じゃあ単純な話しかできないじゃん、
大衆はばかなんじゃん、
となっては話は終わってしまう。
ここからが映画の奥深いところだ。
そう、「一つだけ嘘を認めて良い」のであった。
「アインシュタイン方程式がある。
重力が強いと時間が遅れる方程式である」
をそれだとするとよいわけ。
(まあ、嘘じゃなくて真実なのだが、
99%の人にとっては嘘と同等)
これを認めれば、
重力の強い星に巻き込まれたロケットが、
必死に脱出して帰還したら、
何百年も経っている地球だった、
という話が作れるわけだ。
つまり、
あなたが技巧を尽くすのは間違いである。
それが真実か嘘か関係ないのである。
アインシュタイン方程式という嘘が一つある、
というところからの、
シンプルで味わい深い、E=mc^2的な構成にするべきなのだ。
そしてその嘘が一つあるから、
単純な構成だとしても、
技巧を尽くしてなくても、
オリジナルで奥深いものになるはずだ。
苦労して作れば作るほど、
サグラダファミリアになってしまう。
改修に改修を重ねると、
わけがわからなくなってしまう。
そしてその技巧の限りを尽くしたものは、
「よくわからん」で終わってしまい、
万人が楽しむE=mc^2レベルのものにならないだろう。
それは、はなから作り方が間違っている。
サグラダファミリアのようなものは、
芸術作品になるかもしれない。
だがあなたが書くべきは、大衆芸術である。
あなた以外100%理解できないものではなく、
大衆が想像によって300%、1000%に妄想してくれるなにかだ。
2025年05月22日
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