あなたの作品は必ず誤解されて伝わる。
その覚悟を常にしておくこと。
そして、誤解されて攻撃されるのは常にあること。
「攻撃されないように」を目的とした表現は、
言い訳ばかりの、尖った深いものではなくなる。
尖った深いものは危険だということだ。
だから、得られる宝は貴重だ。
その貴重な宝の話をしたいなら、
危険は常にあることを覚悟することだ。
つまりあなたの作品は必ず何%か誤解されて、
攻撃される。
3%か、30%か、70%かは分からない。
ものによる。
だが、あなたはどれだけ誤解されるかを、
分かっておくことは重要だ。
逆を考えればわかる。
あなたは世界を誤解している。
すべてを正しく認識していると思うのは傲慢だ。
あなたは僕を100%理解してないし、
ある程度の誤解を常に含んでいる。
ゲームの説明書を読まずに、
ゲームを始める人は結構多い。
その初期プレイにおいて、
誤解はめちゃくちゃある。
何回かプレイして「わかってきた」になる。
だけどその時点でも100%の理解をしたわけではない。
むしろゲームプレイとは、
「分かっていく過程がおもしろい」でもある。
そして説明書を読んでから始めたとしても、
何個かは誤解して理解してて、
動かして初めてこういうことかと理解する。
だから初期のほとんどの時間、
そのゲームは誤解されている。
100%の理解などない。
その前にやめてしまったら、
そのゲームは理解されないまま世界に存在するということだ。
そして100%の理解に辿り着けるか?
「私は100%将棋を理解した」といえるか?
そもそも奥深いとは、
理解しても理解してもその先があることで、
100%理解してないからおもしろいわけだ。
この現象が、ゲームだけに起こっているわけがない。
あなたは科学をすべて理解していない。
あなたは社会をすべて理解していない。
あなたは国語をすべて理解していない。
テストで100点取っても、
東大のテストで満点取っても、
ノーベル賞を取ってもだ。
芸術作品も、すべからくそうであろう。
あなたはピカソの何を理解しているだろう?
あなたは黒澤明の何を理解しているだろう?
あなたは藤子不二雄の何を理解しているだろう?
つまり、100%の理解はありえない。
人は100%理解できないのだ。
世界の全部不可知性といったものが存在する。
ということは、
誤解がそこに必ず含まれる。QED
あなたは世界を誤解している。
あなたの作品も世界から誤解される。
大いなる誤解を、減らすことはできる。
70%誤解される作品を、30%に減らす努力はするべきだ。
だけど、1%誤解される人を、0.01%や0には出来ない。
分かりやすさを求めると、
短くするべき。
誤解を防ごうとすると長くなる。
それを愛する人を邪魔することになる。
そんな説明したり保険をかけなくてもいいよ、
うっとうしいな、となるわけだ。
言い訳ばかりついてるCMウザイよね。
※すべての人に当てはまるわけではありません。
※CM上の表現です。
※個人の感想です。
※2025年5月度において、弊社調べ。
※全商品中、2025年調査に基づく。
※保険番号0000-0000-0000公示にもとづく。
なんてのがどれだけ効果がある?
僕は「嫌いな人を増やす」意味で、
客を遠ざけていると思う。
すべての人にひらかれ、かつ誤解もふくめて、
たのしめるのが理想なんじゃないか?
それには大らかな気持ちがだいじだ。
細えことはいいから楽しもうぜって、
ゆでたまごや猿渡哲也みたいになれ。
2025年05月25日
この記事へのトラックバック
バトルの勝ち負けにほぼ意味がないことに対して
「数値にした意味ねえだろ!」と思ってしまいます。
俺の超人強度は1000万パワーだ!のインパクトはあったんですけどね…。
大らかな気持ちを持ちたい。
ゆで理論は数学ではないのです……笑
6をひっくり返すと9になったり、8を横にすると無限大になったりするので……
数値スペックを勢いや根性値で振り切るのが少年漫画である、という定義も可能ですね。