っていうのをよく聞く。
出来るものしかつくらないって、つまらなくない?
出来るか出来ないかわからないけど、
あったら面白いものをつくったほうが面白くない?
なぜなら、
「こういうものなら出来る」というのは、
予測できるからだね。
既存の何かを組み合わせて、
これをああしてこうすれば出来る、と予測できるわけだ。
専門家である必要もない。
あるものを見たことがあれば、アレとコレを組み合わせれば、
素人でもできそうだな、と思われたら、
それは予測されるということになる。
なぜそれがつまらないかを考えると、
「手品の種が想像できてしまう」つまらなさだと思う。
手品は、手品だから面白いのだ。
多分ああやってるんだろ?ってなったら詰まらないんだよ。
なーんだそういうことか、ってなった瞬間、
魔法は魔法でなくなる。
(もちろん、魔法がわかったうえでも、
超絶技巧を使っていることがわかれば、
そのスキル自体に注目が集まることになる。
手品師のカードさばきの見事さとか、
見てるだけでも面白いよね)
手品が面白いのは、
「どうやってるか分からない」ことにあると思う。
まるで魔法だ、となるのは、
魔法に詳しい人ほど感動するに違いない。
別に魔法でなかったとしても、
魔法に見えればそれはすごいのだ。
つまり、
「どうやってんの?」に、
我々は不思議を感じ、感動するということだ。
レシピのわかる料理に感動しないのと同じだろう。
この感動がどこからくるのか、
この湧き上がる感情がどこからくるのか、
この読後感がどこからくるのか、
分からないほど、
価値があるということだ。
あなたは手品師である。
手品のネタがばれやすいものを使うべきではない。
「ああ、それならできるな」と思って作り始めることはあるかもしれないが、
どこかに「そこまではどうやって出来るかはわかるが、
そこから先はどうやって作ったかわからない」
という領域をつくるべきだと思うね。
これは、真似されたときにわかる。
真似してつくってみたのだが、
どうしてもパチモンにしかならなくて、
やはりオリジナルの良さに敵わない、
なんてことがあると、
オリジナルには特別な魔法があると、
再発見されるわけさ。
2025年05月20日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック