2025年05月20日

こういうことなら出来る

っていうのをよく聞く。
出来るものしかつくらないって、つまらなくない?

出来るか出来ないかわからないけど、
あったら面白いものをつくったほうが面白くない?


なぜなら、
「こういうものなら出来る」というのは、
予測できるからだね。

既存の何かを組み合わせて、
これをああしてこうすれば出来る、と予測できるわけだ。
専門家である必要もない。
あるものを見たことがあれば、アレとコレを組み合わせれば、
素人でもできそうだな、と思われたら、
それは予測されるということになる。

なぜそれがつまらないかを考えると、
「手品の種が想像できてしまう」つまらなさだと思う。

手品は、手品だから面白いのだ。
多分ああやってるんだろ?ってなったら詰まらないんだよ。
なーんだそういうことか、ってなった瞬間、
魔法は魔法でなくなる。

(もちろん、魔法がわかったうえでも、
超絶技巧を使っていることがわかれば、
そのスキル自体に注目が集まることになる。
手品師のカードさばきの見事さとか、
見てるだけでも面白いよね)

手品が面白いのは、
「どうやってるか分からない」ことにあると思う。
まるで魔法だ、となるのは、
魔法に詳しい人ほど感動するに違いない。
別に魔法でなかったとしても、
魔法に見えればそれはすごいのだ。


つまり、
「どうやってんの?」に、
我々は不思議を感じ、感動するということだ。
レシピのわかる料理に感動しないのと同じだろう。

この感動がどこからくるのか、
この湧き上がる感情がどこからくるのか、
この読後感がどこからくるのか、
分からないほど、
価値があるということだ。


あなたは手品師である。
手品のネタがばれやすいものを使うべきではない。
「ああ、それならできるな」と思って作り始めることはあるかもしれないが、
どこかに「そこまではどうやって出来るかはわかるが、
そこから先はどうやって作ったかわからない」
という領域をつくるべきだと思うね。

これは、真似されたときにわかる。
真似してつくってみたのだが、
どうしてもパチモンにしかならなくて、
やはりオリジナルの良さに敵わない、
なんてことがあると、
オリジナルには特別な魔法があると、
再発見されるわけさ。
posted by おおおかとしひこ at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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