あんまり最近劇的に配列を変更する、
ということはなかったので、ちょっと忘れていたんだけど、
やっぱり配列の出来不出来は、思考にまともに影響するわ。
その配列で打ちやすい言葉と、
打ちにくい言葉がある。
同じカロリーで考える時に、
打ちやすい言葉のセットを使うだろう。
ということは、用いる言葉がちがうわけ。
同じ思考を同じカロリーではできなくなるわけだ。
だから、思考は配列に影響されて、異なるものになると思う。
もちろん、手癖に影響されないように、
きちんと考えてから、文字を表せばいいのだが、
手癖で記してしまう場合に、こういうことが起こりがちだと思う。
人はつい楽なほうを取るので、
簡単に打ちやすい言葉のセットでものを考えてしまうわけだね。
今「ね」「む」を交換して、「め」も移動したりして、
最近にしては大移動大会をしているのだが、
なかなか思考が影響を受けていて、興味深い。
具体的にいうと、「む」が打ちにくくなったため、
これまでより「む」を含む言葉を使いにくくなった。
含む、がその例だ。含有する、とうっかり書いてしまうかもしれない。
近い言葉があればいいが、
とっさに言葉が出ない場合、思考に影響があるわけ。
止まって言葉を探すか、むをスムーズに打てるか、
ということになってくる。
まあ、今回はよりマイナーな「む」を追いやり、
よりメジャーな「ね」「め」を優遇する、
という方針だから、影響は逆だ。
より、「ね」「め」の恩恵を受ける言葉を打ちやすくなったので。
逆に、薙刀式で打ちやすい言葉で、
僕は考えているような気がする。
自分で考える言葉が、薙刀式で引っかからないように、
配置を工夫してきた気もする。
いずれにせよ、思考と指が一致することを考えてきた。
このセットが合う人もいれば、合わない人もいるだろう。
思考と言葉と指の関係性が、僕と違う人のほうが多いかもしれない。
だけど、多少合わなくても使いやすいから、
という理由で薙刀式を使うのもよい。
他の配列よりまし、という理由で使ってもよい。
qwertyローマ字を僕が批判するのは、
加速ワードが日本語でよく使う言葉とは限らないことだ。
逆に日本語でよく使う言葉が、減速ワードになることもだ。
日本語でよく使う言葉が加速ワードになり、
あまり使わない言葉が減速ワードになるべきだ。
配列は思考に影響を与える。
qwertyローマ字が打てる人ほど、
qwertyローマ字で打ちやすい言葉ばかり使って、
考えている可能性は高いと思う。
もっとも、ブラインドタッチが出来なくて、
遅くしか打てない人は、そんなに変わらないかもしれない。
だから結果的に平均的に、
qwertyは文化侵略をしていないともいえるか。
逆に、qwertyがブラインドタッチできる人3割、
高速打鍵できる人1割(ぐらいとしよう)は、
qwertyという思考の枷をはめられている、
qwertyの思考の牢獄にいる、
と僕は考える。
「む」が現在慣れていないv16私家版。
無意識、無理、無駄、無敵、しむける、迎える、難しい、昔、
システム、ゲーム、スムーズ、
などが打ちにくくなることで、思考への影響がある。
人は不便になったところだけを文句を言いがちだ。
そのかわり、「め」「ね」は良くなったんだよなあ。
そこはトレードオフとして良化した、
と考えるべきなのだろう。
結論はまだ出ないが、
マイナーカナを動かしただけで、
僕の言葉は少し影響をうけている。
2025年03月08日
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