なぜストーリーは推進力をなくすのか。
主人公だけを見ているからじゃないか。
もちろん、物語というものは、主人公が主役で、
主人公を追いかけるものである。
だから、
主人公の行動が物語の推進力の多くを占めることに、
まったく異論はない。
だけど、それを100%にしていると厄介だぜ、
ということを書こうとしている。
主人公が挫折したり、落ち込んだり、
失敗したり、何もできなくなる瞬間が、
人生にはあるからだ。
そのときに推進力が後退したら、
ストーリーも停滞し、後退したように見えてしまう。
主人公は毎回100%勝利して、
しかも物語が進むほどに推進力が増していかなければならない?
そんなトーナメント全勝みたいな人生はおもしろくない。
人生というのは、勝ったり負けたり逆転したりがおもしろいわけだから。
だけど、負けたり何もできなくなったら、
物語の推進力が落ちる。
これを防ぐには、
「ほかの登場人物が話を進める瞬間」があればいいということになる。
主人公は推進力が落ちているが、
その分、ほかの登場人物が、
推進力の代わりをすればいい、ということだ。
敵役が話を進めるパートがあってもよい。
何かを攻略して、主人公サイドがピンチに陥る展開も、
ストーリー全体としては推進力が失われていないことになる。
あるいは、
味方が、主人公の代わりに矢面に立ったりしてもよい。
代役的なことだ。
でも代役にはならない(主人公のほうが能力としては高い)ので、
彼なりの活躍をして、それが思わぬ名場面になることは、
とてもよくあることだと思う。
あるいは、味方といえど、呉越同舟で、
裏切りの瞬間を進めているかもしれない。
それはそれで、ストーリーは進んでいる、推進力のある状態だということだ。
また、主人公はメインプロットでは推進力をなくしたが、
サブプロットでは進行するかもしれない。
そこでひょんなことからメインプロットと絡んでくることになる、
というのもよくあるやり方だ。
つまり、
ストーリーの推進力は、
主人公の推進力と、ほかの登場人物の推進力の和というわけだ。
これが主人公100%だと、
主人公の推進力がストーリーの推進力になってしまい、
落ち込んだらつまらなくなってしまう。
様々な登場人物が色々進める、総合的な話では、
全員が落ち込み、停滞する瞬間しか、
ストーリーの推進力がなくなる瞬間がないことになり、
それは確率的にも少ない。
つまり、どこかしらでストーリーの推進力は失われず、
何かしら前に進むことになる、というわけだね。
だから、主人公一人に推進力を期待するのは、
間違っている。
つまり、メインプロット+他のサブプロットだ。
サブプロットこみで総合的なストーリーだ。
他の登場人物は何目的でこれに参加しているのか。
それを実現するには、どう考えて、
なにを行動するのか。
それは全体にどのような影響を及ぼして、
主人公はそのために何をしなければならなくなるか。
主人公が落ち込み、何もできなかったとしても、
周囲の状況が他の人物によって動かされてしまえば、
再び動かざるを得なくなる。
つまり、主人公の推進力はリアクション
(顔芸とかではなくて、行動に対する行動の仕返しという意味での、リ+アクション)
によってなされて、
主人公の推進力が復活して、
他の登場人物の推進力もある、
という同時並行の状態になるということだ。
主人公の動機や行動だけを追いかけてしまうと、
推進力がなくなるところが何か所もある。
そこが詰らなくなる瞬間であり、
次が書けず、挫折してしまう瞬間でもある。
それを避けるには、サブプロットがあればいいだけだ。
全体の総合推進力があれば、
ストーリーは停滞しない。
登場人物を整理しよう。
動機によって分けてみよう。
誰が何目的でここに参加しているのか?
主人公が駄目になっているときは、
他の誰かのそれを描こう。
もちろん、それが主役を食う時もある。
そしたらそいつを主人公に変えて、
ストーリーを書き直せばいいんじゃない?
鞍馬と飛影が主役の幽遊白書だってあり得たでしょ。
(幽介が雷禅の息子でなかったら、
後半戦はどうしようもなく主人公の推進力がなかったところだ。
そしてそれは面白くなかったんよなー)
つまり、
物語というのは、推進力が各登場人物の和で示される。
そして、推進力はどんどん上がっていくべきだ。
どんどん面白くならないと、
うーん、一定でこれ以上面白くならないなあ、と飽きられるからだ。
つまり、トータルで各登場人物の推進力が上がって来ると、
どんどん面白くなっていくだろう。
主人公だけを考えていると、
気づかないことだ。
2025年05月28日
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