若いころはハイカロリーを好み、
歳を食ってくるとすっきりした繊細で本質的なものを好む。
飯も酒も知識欲も。
年取ると自分に取り入れるときの消化エネルギーが減っていくのかねえ。
まあいいや。
腹八分目ってどのへんか、体感で分っているだろうか?
これは、いろいろとつくった人でないと理解できない感覚かもしれない。
自分としては100をつくっているつもりでも、
他の人から見たらハイカロリー過ぎると思われるかもしれないし、
他の人から見たら全然物足りないものをつくっているかもしれない。
他の人から見てどうかの話であって、
あなたの感覚を見ているのではない。
自分の声が大きいのか小さいのか、ということだ。
大きい人は自覚がないし、小さい人はなかなか通じないから自覚があるかもしれない。
それは、ほかの人との比較でしか分からない。
映画から受け取る熱量、情報量、人生を変える衝撃、
人生の密度、勢い、などを想定しよう。
初めて見た映画はかなり大きかっただろう。
だけど映画を見慣れるうちに、
その大きさは減ってきたと思う。
映画というものが手のひらに収まるように、
「理解」が進んでいるのだ。
パターンを知って、パターン分けしやすくなったのかもしれない。
おそらく、初心者は、
「最初に受けた映画の衝撃」みたいなことを再現したがる。
それはそれで構わない。
憧れが最初の動機となることはよくあることだ。
で、問題は、
「今そのへんにある映画」と比べてどうか、
ということなのだ。
あなたが「これくらいないと物足りない」は、
他の人にとってハイカロリーかもしれないわけ。
ヘビメタが好きな人がヘビメタをガンガンかけて、
他の人が疲れてしまう、という感じになっているかもしれない。
あるいは逆に、「これくらいでいっぱいいっぱい」が、
他の人にとって、まったく物足りない可能性がある。
年寄りがご飯半分でいい、
みたいな食事になっている可能性もあるわけだ。
あなたの映画は、多くの人にとって、
物足りないのか? 腹八分目なのか?
ちょうどいいのか?
十二分目なのか? 多すぎて気分が悪くなるのか?
それを把握しよう。
僕は、ちょうどいい、よりやや足りないのがいいんじゃないか、
って思うときがある。
想像の余地を残すというやつだ。
全部を理解しきってしまったら、二度と見なくてもいいからね。
二回、三回見るたびに想像してしまうもののほうが、
創作としては上等なんじゃないかと思うことがある。
説明しすぎの昨今のものに対する批判かもしれないが。
逆に、腹いっぱい食べさせたろ、
というのもやりたくなる。
もう無理、あと1ミリで死ぬ、
くらいにお腹いっぱいに詰め込むやつも好きだからね。
ちょうどいい、はなかなか難しい。
滅多に計算が合わない。
まあ、それも、
他人のものと比べてどうか、でしかない。
邦画と比べてどうか?
ハリウッドと比べて?
インド映画と比べてどう?
昔の映画と比べて? 今のはやりと比べて?
腹八分目で勝負するのか?
十二分目で勝負するのか?
正確にコントロールしよう。
作り過ぎちゃってお隣にわけるわけにもいかないし、
足りないからコンビニに行くわけにもいかない。
2025年06月01日
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