ストーリーとは何か、をつねに考えているのだが、
今回は「すぐに終わるものはストーリーではない」
という観点から。
「すぐに」とはどれくらいか。1分か、15秒か。
時間ではない。
会話ないしアクションのターンで考えるとしよう。
つまり最低でも二人必要だ。
Aの会話ないしアクションがあり、
Bの会話ないしアクションがある。
これを1ターンと数えるとする。
となると、
Aが何かしてBが何かしただけでは、ストーリーではない。
すぐに終わるからだ。
「おいお茶」「はい」
はストーリーにならない。
「おいお茶」「断る」
もストーリーにはならない。
これは点である。
ひとつの点を描いただけだ。
「好きです」「断る」
もストーリーではない。
「振られた」という状況であり、点である。
「殺す」「死んだ」
もストーリーではない。
「殺した」というひとつの点にすぎない。
何か出来事は起こっているが、まだストーリーではない。
「殺す」「防いだ」も同様だ。
結果が出ているが、まだそれは点である。
2ターンだとどうか。
「好きです」「断る」
「でも好きです」「そうまでいうならちょっと考える」
だと、ストーリーっぽくなったね。
でも終わっていないからストーリーにはならない。
ストーリーは終わって初めてストーリーになる。
「つづく」はストーリーではない。
逆に、2ターンでストーリーを完結させるのは結構難しい。
できるならやってみたまえ。
俳句や短歌は、ストーリーである場合もある。
わずか17文字や31文字でストーリーを描くことをやっていることもある。
(たいていは点である状況を描く。
また文字数が足りないため、すべてを描かず省略してストーリーを想像させるものになっていることが多いと思う)
3、4……ターンあると、ストーリーになるかしら。
多分なる。
きちんと終われればね。
誰かとだべっているときを考えよう。
1〜2ターンで終わる会話はストーリーを話しているのではない。
点の情報交換といったところか。近況報告もあるだろう。
会話というのはそうした情報の交換がほとんどじゃないかな。
今日学校行った、楽しかった、という程度の情報量だ。
社長辞めるんだって、じゃあ会社どうなるんだよ、
〇〇さんになるらしいよ、それは困ったね、くらいだ。
それが、数ターンになると、ストーリーの可能性を帯びる。
だけど、完全にそれが終わらないと終わった感じがしない。
つまりオチである。
オチがないものはストーリーではない。
大坂人はつねにオチをつけた会話に慣れているから、
他の国の人がオチをつけられない意味がよくわからない。
会話はオチが必要だ。すべての会話はオチへのフリになっている。
つまり、大阪人は、日常会話でストーリーを話している。
東京に来て、ストーリー形式になっていない会話に、
いまだに慣れない。
オチいらんのかい、と常に突っ込んでしまう。
〇〇は〇〇なんだよ。へえー、で? いやそれだけ。
それだけで終わるの? それだけだからね。
という会話が多い。
「それだけ」で終わるのは、ストーリーではなくて、
点の情報交換に過ぎないだろう。
オチには二種類ある。
「最初の状態に戻った」ものと、
「最初の状態から別の状態になった」というものだ。
前者は「何も変化していない」もので、
これはストーリーではない。
棚から落ちたものがあったが、元に戻しておきました、
はストーリーではない。
元に戻って世界は維持される、はストーリーではない。
何ターンも苦労した末に、世界は平和が維持されたのだ、
はストーリーではない。
よくできたストーリーは、「世界の平和は維持されたが、
主人公やその他は、まったく異なる変化が生まれたのである」
などのように、
世界は維持されても他の何かが変化したことでストーリーとする場合が多い。
つまり、ストーリーとは、
1ターンよりも長い、
最初の状況から変化したもの、ととらえられる。
1周回って元に戻ったら、意味がないからだ。
つまり、2人以上にある、意味のある変化をした、
1ターンよりも長いものが、
ストーリーの必要条件だということがわかる。
2人以上必要なのはどうしてだろう。
他者との何かがストーリーだから、だと思う。
1人で何かをしてしまうのは、どんなに長くてもストーリーではないと思う。
10年かけて脚本を書きました、というのは行為であるが、
ストーリーではない。
なぜなら、「10年かけて脚本を書きました」と、
1ターンで言えるからだ。
1人でやる行為は、1ターンに省略できる。
その間にいろいろあって、何十のターンになるのかもしれないが、
まとめると〇〇である、のように省略できると、ストーリーから遠ざかる。
波乱万丈の人生ならストーリーになりそうだけど、
他の登場人物が一切出てこなかったら、ストーリーにならないと思う。
それは淡々と〇〇をした、ということにしかならないからだ。
他者が必要である。
他者の存在によって、うまくいかなかったり、うまくいったりする。
共同でやれる範囲が大きくなるが、目的が同じでない以上、妥協した目的になる可能性がある。
それらでもめる可能性がある。
その、他者の存在によって、一人の人生は小さくもなるし、大きくもなる。
その変化は、ストーリーの種になる。
2人以上の、数ターン以上の、オチがあって変化するもの。
これがストーリーの必要条件だ。
数ターン以上あるもので、途中で飽きてしまうものは、
流れを変えると飽きなくなる。
勝利に進むようなペースは、突然のアクシデントや大失敗によって挫折したり、
チャンスを得て大逆転する。
あるいは、同じところでやってなくて、次に別の場所へ移動したりする。
人は飽きるので、それをうまく色を変えて話していくものだ。
ターニングポイントや起伏は、そのためにある。
同じ場所で状況が変わらないものは、進んでいないとみなされるからね。
(ワンシチュエーションが難しい理由はこれだ。
逆にいうと、ワンシチュエーションものは、
状況が進めばよいのだ)
1ターンで終わらないもの。
2人以上で語られる、ないし行動しあうもの。
オチがつくもの。
そして変化するもの。
それがストーリーの条件だと僕は思う。
これらがまとまって、
「こないだ面白い話があってさー」
となるのだと思う。
ストーリーの芽を探そう。
これはネタになるぞと。
ある面白いストーリーが出来そうな何かを探して、
たくさんメモしておこう。
でもそれらは、まだストーリーにならない。
何が必要だろう。
それを延々語ってもストーリーにはならない。
数ターン話せる何か、
他者、オチ、変化。
それらがその1ネタからできるのならいけるかもしれない。
ふつうは、サブのネタを組み合わせる。
ひとつの大ネタ、いくつかのサブネタ、という風にすると、
運動が生じてストーリーになることがある。
思いついたぞ、
でもそれがすぐに終わるぞ、
なら、まだそれはストーリーを思いついたことになっていない。
アイデアは点の形で出てくることが多い。
だからそれらを沢山メモっておくことはいいことだ。
それらが線で結ばれたとき、
数ターンで終わらない何かになりつつあるときに、
ストーリーが生まれる可能性がある。
ネタを思いついたんですよ、ではまだ畑を耕している状態だと思う。
芽吹くのは、それが数ターン続いたときだけだね。
アイデアがストーリーになりそうか、を確かめる、
もっとも簡単な手段がある。
「で?」と聞いてみることだ。
それから何かが出てくるならストーリーになりそうだ。
いや、それだけなんだけど、は、ストーリーにならない。
(無理やり続けるとストーリーになることもある。
最初は点だと思われていたものが、次第に線になっていくことはあり得るからだ)
2025年06月03日
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