人はなんのために話をするのだろうか。
僕は二種類あると思っている。
1. 共感してほしいから、分ってほしいから
2. 何か役に立つ価値を共有したいから
一般的に、前者は女の話、
後者は男の話、とよくいわれる。
「ライトがつかないの」のコピペでも有名だよね。
で、今はそれを問題にしたいのではない。
男だって共感してほしい時があるし、
女だって共有する価値を語りたい時もあるだろう。
で、人にふつうに話をするときはどちらでも構わない。
共感してほしいときに、解決法を授けてはいけないとか、
解決してほしいときに、共感してる場合ではないとか、
そういう話をしたいわけでもない。
リアルに話をする時は、それぞれやればよい。
問題は、創作ストーリーという話をする時である。
その話をする目的とは何か?ということなのだ。
「俺はこんなすごいストーリーをつくったぜ、すごいだろう」
なのか、
「俺という人物を分かってほしい」なのか、
「俺という人間がここにそのまま出ているし、
人間の本当がここに書かれてある」なのか、
表現のあり方はいろいろあれど、
これらはすべて、
「共感してほしい」というときのものである、
ということを言いたいわけ。
もしあなたが、
「このストーリーを書くことで、
私という人間を分かってほしい」とか、
「これが俺そのものだ」とか思っているとしたら、
「共感してほしいのと言っている女」と同じ立場だぞ、
ということを言おうとしている。
つまり、
あなたの欲しいものは、
「共感してほしいの」という女と同じで、
「よしよし」だということになる。
「わかるー」でもいい。
「なるほどーそうなんだねー、わたしもー」だ。
つまり、あなたの想像した共感の広がりがないと、
あなたは不満だということになる。
で、それって、
創作ストーリーから我々が得ることを期待するものだっけ?
ということだ。
別に作者の人格や置かれた事情なんて関係なくね?
作者がどう思っていようが、
我々が楽しみたいのは主人公の冒険の続きであり、
満足できるエンターテイメントだ。
作者が優しい人とか、ひどい人とか、面白い人とか、
そんなの関係ないよな。
作者が色々あってかわいそうとか、そういうのも関係ないよな?
だから、「共感してほしい」という作者の意向は、
「わかるー」とは言われない、ということだ。
つまり、それを目的に創作ストーリーを書くのは、
間違った目的だということだ。
メアリースーが現れるのは、
「私は楽をして幸せになりたい」という願望が、
無意識に出るからである。
それは、「そんな自分を認めてほしい」「わかってほしい」
という無意識に共感を求めていることになるわけ。
創作ストーリーというジャンルでは、
それは間違っていると思う。
もちろん、キャバクラで「俺を分かってほしい」と、
何かを話すことを止めはしない。自由にすればいい。
創作ストーリーは、その場ではない、ということだ。
じゃあ、その創作ストーリーを話す目的はなんだろう?
二つ目の、
価値ある情報の共有だろうか?
それがテーマだろうか?
つまり創作ストーリーは、
最近の情報とか、雑学だろうか?
僕はそれでもないと思っている。
「すでに知られたお役立ち情報」は、
ここで繰り返す必要はないと思う。
だから、ここで書くべき情報とは、
「新しく言うべきこと」だと思っている。
まだ言語化されていないが、
人々がうっすらと思っていること。
それを「〇〇は〇〇なのだ」と具体的な言葉で言うのが、
宗教家やTwitter哲学者だとすれば、
我々は、言語化していない、
何か言葉にならないものを、
創作ストーリーの形で表現する、
というわけである。
これを、
「作者の言いたいこと」と勘違いしてはならない。
ただ、そういわれると「なるほど」と思えるぞ、と、
人生にそういう考え方を加えると、
人生がちがう見方をできるぞ、
ということを提唱したいのだね。
つまり、主張ではなく提唱が、
創作ストーリーでやるべきことかもしれない。
ああ、そういう見方もあるな、
今後色んな場面に遭遇したときに、
その考え方を思い出して、何かに使えるかもしれない、
というのが、いい塩梅だと思っている。
アメリカは強いアメリカであるべきだ、
というような強い主張でもいいんだけど、
それって別に2時間の映画でやるべきことじゃなくない?
なんて思う。
まあ、何本もそういうことをやれば、プロパガンダとしてはあり得るが、
1本2時間の映画で提案できる人生訓なんて、
たかが知れていると思うけどねえ。
でもそれでも素晴らしい映画は、
一生を変えることがある。
それが文学の力だと思う。
そういうものを求められているときに、
「共感してよ」は、
あまりにも間違っている、安っぽい、
プライベートでやれ、と思うわけさ。
物語に目的はない。
何の為にこれを書いたのか、ということもない。
ただ楽しんでほしいだけであり、
そして最後に人生に価値をもたらす、
なんらかの提案を持って帰ってほしい、
それが響くように全体を構成されてある。
それが、響けば響くほど、
名作になると思っている。
2025年06月04日
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